ダーラムのトナカイ・ファー。
かれこれ6〜7年前、スウェーデンのダーラナ地方で、僕はトビアス・エクルンド(ダーラム共同創業者)と初めて会った。とあるキャンプ・イベントに取材者として参加し、トビアスと出逢ったのだ。「スウェーデンの湖水地方」とも呼ばれるダーラナの、美しい湖畔のキャンプ場で、僕らは数日間を一緒に過ごした。
そのとき、(ダーラナの地ビールを飲みながら)故郷であるダーラナへの愛を熱心に語っていたトビアスが、昨年「ダーラム」というブランドを友人と起ち上げた。ダーラムとは、ダーラナ地方の方言(エルフダーレン語という古語)でのダーラナを意味すると聞き、なるほどそうか、と僕は納得した。トビアス自身の、故郷への想いが込められたブランドなのだと理解したからだ。
トビアスがさらに、ダーラムというブランドの個性に加えたものがある。「サーミの伝統文化」だ。
夏はロング・トレイル、冬はスキーやスノウボードなど、北極圏のアウトドアを愛するトビアスは、サーミのアイデンティティでもある「トナカイ・ファー(トナカイの毛皮)」を、ダーラムのプロダクトのひとつに加えた。それは「WARD(ワード)」と名づけられた(エルフダーレン語で「トナカイ・ファー」を意味するという)。
極北の遊牧民、サーミ。
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、ロシア(主にコラ半島)という、北ヨーロッパの4か国にまたがって、「サーミ」と呼ばれるトナカイ遊牧民の人々が暮らしている。彼らの多くは、北緯66度33分より北の、「北極圏」と呼ばれる地域に暮らしているが、中にはそれよりも南側の土地に生活するサーミの人たちもいる。現在のサーミ全体の人口は5万人とも20万人とも言われている。
スカンジナビア半島を旅し、北極圏に足を伸ばすと、そこが「サーミの世界」だと感じる瞬間がある。
何年か前に、スウェーデンの北極圏で、数日かけてロングトレイルを歩いていたとき、途中でサーミの村に立ち寄った。その村へ、僕は川を渡って行った。小さな渡船の上で耳慣れない言語が響いていた。サーミ語だった。船頭と案内の2人は、サーミだった。
夏の終わりで、細かな温かい雨が降っていた。寒くはなかったが、僕らは濡れながら船に乗っていた。年配の男が、若い男にサーミ語で何かを熱心に語っていた。英語で彼らに、「日常的にサーミ語を遣っているのですか(スウェーデン語ではなく)?」と質問すると、若い方のサーミがこう応えた。
「サーミ語を喋れる人は少なくなってしまいました。でも近年、学ぼうとする若い人たちも増えています。ぼくも最初はサーミ語を喋れませんでしたが、教わって、今ではだいぶ話せるようになってきました。でもぼくのサーミ語は、まだまだ幼い子供の言葉みたいなもの。だから、ふだんから遣うようにしています」
言葉は大切ですか、と訊くと、年配のサーミが若者の言葉を継ぐように語った。「サーミ語では、雨はひとつじゃない。いろんな雨(の表現)がある。風にも、いろんな風があり、それぞれに異なる物語が含まれている。サーミ語を語ることは、この土地について知り、土地について語ることでもあるんだ。古来サーミは、北の大地を旅しながら生きてきた。言葉の中に地図がある。ここでは、サーミの言葉を知らないと、道に迷うことになる」
トナカイの群れを追いかける人々。
サーミはトナカイとともに、現在のロシアからノルウェイまで、北極圏を移動しながら暮らしてきた、北の先住民(少数民族)だ。
サーミの世界には、西洋星座とは異なる星座があるという。彼らはオリオンとほぼ同じ場所に巨大なトナカイ座を持つ。北極星と関係するトナカイ座は、サーミにとって、北極圏の夜空において最も大切な星座だという。(星座の形と名称は、異なる場合があるようだ。トナカイ座ではなく、ヘラジカ座を夜空に見出すサーミもいるという。僕が出逢ったサーミは「トナカイ座」として語っていた)
北極圏では、1年の実に3分の2が冬だと言ってもいい。そして場所によっては真冬に極夜となり、昼間でも太陽がほとんど昇らない。真冬には、一日中ずっと暗い中をトナカイともに旅したサーミもいただろう。そんな彼らは、夜空の星と月を読んで、移動していたのだろうか。古代ポリネシアンのように、サーミの人々も星の航海術を持っていた(る)のだろうか。サーミには、月と星々に関する神話や言い伝え、昔話が、たくさんあるという。
モンゴルには、「ゲル」と呼ばれる円形テントと、羊や馬とともに、広大な土地を移動しながら暮らす遊牧民が今もいるが、サーミの人たちもまた、トナカイの毛皮などで作られた移動式のテント、「コタ」と、トナカイとともに、広大な北極圏を季節ごとに移動しながら生きてきた。彼らは北方の遊牧民だった。
「だった」と過去形で書いたのは、現在そのような伝統的な遊牧民としての暮らしを営むサーミの家族は、わずかしか残っていないからだ。この世の果てのような北極圏にも近代化の波は押し寄せ、若い世代は都市や街に出るようになり、仕事を得れば戻ってこないサーミも多い。携帯電話が普及し、グーグルマップで自分がどこにいるのか瞬時にわかるから、星の航海術は不要になってしまった。
もちろん今も、古き伝統文化を守り続け、トナカイ遊牧民としての暮らしを営むサーミもいる。ノルウェイでは、トナカイの飼育や間引きについて、政府と訴訟になっているサーミもいるという。スウェーデンでは現在、トナカイの飼育や放牧は、サーミの人々の仕事となっている。空港の土産物店などで、触り心地の良いトナカイのファー(毛皮の敷物など)が売られているが、スウェーデンではそれらは、サーミの伝統工芸品でもある。
独自の言語を持つサーミは、赤・緑・黄・青の4色からなる独自の旗を持つ。4つはサーミの色であると同時に、北欧4か国の意味も含む。その旗の中央付近に配置された円は、太陽(赤部分)と月(青部分)を表している。サーミの村や集落へ行くと、このサーミの旗をよく見かける。
スウェーデン北極圏の街キルナから車で15分ほどの湖畔に、ユッカスヤルビという小さな村がある。ここでサーミのファミリーが、「サーミ・シイダ」という小さなミュージアム・ショップを営んでいる。観光地だが、サーミの世界を少しだけ見せてくれる場所だ。
「シイダ(siida)」とはサーミ語で「サーミの家」という意味だが、同時に、「トナカイの群れとそれを追う人々」という意味でもあるという。世界には「一語で翻訳することが難しい単語」がたくさんあるが、シイダもそのような単語のひとつと言えるだろう。それにしても、(意訳すれば)「トナカイとともに旅する人々」とは、シイダとはまさにサーミを表現する単語だ。
大きなテントがあり(本来は移動式)、その中でサーミの神話や伝承を聞かせてくれる。サーミの歴史や文化の基礎を教えてくれる。庭にトナカイが放し飼いにされていて、訪れた人たちは餌付けしたり、触れあうこともできる(本来は禁止されている餌付け行為だが、ここはサーミ文化を伝える場所として特別に許されている)。
小さなミュージアム・ショップには、サーミの様々な手工芸品が並ぶ。隣接するコタ・スタイルの食堂では、サーミのファミリーがトナカイの肉を焼き、トナカイやムースの肉のスープを温める。訪れた人たちは、トナカイ・ファーの上に座ってそれを食べる。素朴だが、滋味深い料理だ。ここは観光スポットだが、サーミ語に耳をすまし、サーミの人たちから直接話を聞ける希少な場所でもある。
北極圏を旅し、サーミの人たちとトナカイの関係を見ていると、北海道のアイヌのことを思い出す。サーミにとってのトナカイは、アイヌにとっての鹿や熊と似ているように思う。彼らは、八百万の神々のように、自然界のあらゆる生き物や場所に神さまを見出す。それぞれ独自の言語を持ち、独自の物語や神話を伝承し、アイヌもサーミも長く辛い差別の歴史を持つ。
北海道の道東、阿寒のアイヌコタンへ行くと、サーミの小さな村のことを思い出す。阿寒湖の周囲には国立公園の原生林が広がり、その森は北欧の森によく似ている。
僕は間もなく阿寒へ短い旅をする。アイヌの友人たちと、サーミの話もしようと思う。もし時間があれば一緒に森へ行き、キノコやベリーを集めよう。
北極点を中心とした世界地図を開けば、北欧の北極圏と北海道はびっくりするくらい近いのだ(網走にある「北方民族博物館」は、北極点を中心とした北方世界の先住民文化を紹介する、すばらしいミュージアムだ)。
秋になり、冬が近づいてくると、北の世界のことを想う。夜空にトナカイ座が輝く冬に、サーミの大地をまた旅してみたい。
Nutti Sámi Siida ウェブサイト(英語)
Nutti Sámi Siida インスタグラム
北海道立北方民族博物館ウェブサイト
Photography by NAOKO AKECHI、YUKO OKOSO、EIICHI IMAI
Text by EIICHI IMAI