湯河原焚火がつなぐ輪

湯河原と焚火

ここ数年、「湯河原」というキーワードがよく聞こえてくる。友人が移住先に湯河原を選び、いいレストランの噂も聞く。そんななかで「湯河原焚火」のリリースを目にし、また湯河原!と思った。湯河原で何かが動いていると感じた。

湯河原焚火とは、この1月の週末、湯河原の万葉公園とまちなかの広いエリアで行われた焚火イベントのこと。公園内の広場や富士屋旅館、美術館のテラスなどに焚火を置き、思い思いの場所で火を囲んでもらうとともに、UPIの寒川一さんによる焚火ワークショップ、サウナテント、マーケット、映画上映、登録有形文化財の旅館見学などのさまざまな催しが開催された。

老舗の旅館と、モダンな焚火。湯河原の新しい風景に。

万葉公園の蛍テラスにて。

寒川さんの焚火ワークショップ。川の水を汲んで浄水し、煮出したコーヒーのおいしいこと!

フィンランドのサウナテント体験。サウナストーンにアロマ水をかけて、いい香り。

数年ぶりに訪れた湯河原温泉は、少し寂しさを感じたかつての印象とまるで違った。イベントで賑わっていたのもあるが、こんなにフレンドリーな公園は記憶になかったし、川沿いの旅館は老舗の風格が漂っている。なにしろ細い路地にもまちの営みが感じられた。

今回の焚火イベントの立役者であり、湯河原のまちづくりを主導する中西佳代子さんにお会いして、このまちに活気がある理由がわかった。

昔の絵図から教わること

地域の人と顔と風景が見える仕事がしたいと、それぞれの土地に根ざした地域づくりに奔走する中西さん。湯河原温泉に入ったのは10年ほど前のこと。箱根へと続く旧道「湯元通り」に惹かれ、湯河原のまちづくりに関わることになる。

「湯河原の長い歴史の中で、家を建てては壊し、また建てての連続で、それによって道の形ができてきます。だから設計士が机の上で線を引いたまっすぐな道とは違って、ここにはヒューマンスケールの路地空間があるのです」

湯河原まりづくりの発起人となった中西さん。万葉公園の千歳川沿いにつくった「川の道」にて。

湯元通りは湯河原温泉のかつてのメインストリート。いたるところに、源泉を管理する温泉やぐらが立つ。

  中西さんがまず行ったのは、この通り沿いの人たちとの勉強会だった。湯河原の本質的な地域資源は何か。祖先たちはどんなまちづくりをしてきたのか。昔の絵図や資料を広げながら、地元の人たちと集中的に話をする。

「古い絵図には、共同浴場や旅館、お店、道などいろいろなことが描かれています。それを地元の方と共有しながら話していると、みなさん曾祖父母から聞いた話や子供の頃の出来事を思い出したり、改めてこのまちの歴史を知り、先祖が生きてきたこの地はじつは自分にとって大切な場所であり、湯河原の歴史的にも意義深い場所だと気づくのです。そこがまちづくりの原点です。私たち外ものがいくら提案しても、中の人が本気にならなければ何も変わりませんから」

地元の人たちがまちのよさを再認識し、自分にできることがあればやりたいと立ち上がる。そこが最初のスタートになる。

まちは生き物

湯河原温泉は万葉集にも登場し、夏目漱石や芥川龍之介ら文豪たちが愛した場所だ。建物の構造や道沿いの塀はどんなものだったのか、古い絵図から湯河原らしさを読み取り、それをもとに地元の人と一緒に景観づくりのルールを作成。屋根は緩やかな傾斜に、建具は木製に、塀は自然素材になど、細かい部分にまで落とし込んでいった。 

「まちは生き物ですから、絶対に昔のものを残すというのは無理です。まちのほとんどは民有地で、所有者が好きなように建て替えたりするのですが、その地域で守らなければいけないDNAをみなさんが共有していることが大切なのです」

古民家に、たとえ建築的な価値がなくても、湯河原にはエリアとしての価値がある。壊して新しい建物を作るより、古いものを生かすほうが絶対によくなると中西さんは言う。いまの法規制では建て替えの際、セットバックしなければならないとか、川にせり出す構造物を作れないからだ。

中西さんが湯河原に関わってからの10年で、まちは目に見えて変わった。空き店舗が食事処になり、歴史ある旅館や周囲の建物、路地空間が景観の意識を高めて手を加えた。美術館にはカフェがオープン。「かながわ観光活性化ファンド」がまちづくりに参画して長らく閉じていた富士屋旅館が蘇った。そして2021年、まちの中心にある万葉公園が生まれ変わった。

石畳の湯元通り。のれんがかかる食堂は、隣の精肉店が空き家を買い取り、地元民が集う場所にと開いたもの。 

まちの中心にある「富士屋旅館」。大正12年に建てられた旧館が登録有形文化財に。焚火イベントでは敷地内に焚火を置き、地元のレストランがブースを構え、多くの人でにぎわった。 

明治15年創業の「ゆ宿 藤田屋」。尾崎紅葉や高浜虚子が通った。 

湯河原美術館併設のカフェにて。地元の豆腐屋「十二庵」のプロデュースで、濃厚な豆乳スープがおすすめ。

みんなの夢をかなえるために 

千歳川沿いにある万葉公園。日本の歴史公園100選に選ばれている緑地公園だが、近年は訪れる人が少なくなっていたそうだ。4月に観光会館を減築・改修して「玄関テラス」ができ、川の道や熊野神社の参道も整備。8月には足湯施設を改修して日帰り温泉施設「惣湯テラス」がオープンした。

「計画から約5年かかりました。ここでも最初に行ったのは、地域の方とのディスカッションです。まずはどんな公園にしたいかを好きに話してもらい、夢物語のような構想を作りました。それが1年目」

2年目は専門家を交え、その構想の何ができて、何ができないかを検討する。都市公園で、崖地にあり川が流れる万葉公園はさまざまな法律が関わり、実際にはできないことが多い。自分たちがやりたいことを実現する道があるのか、できるとしたらどんな方法があるのかを詰めていった。3年目に事業者を募集し、4年目に設計、5年目にようやく工事にこぎつけた。

「公園を湯河原町の予算だけで再生するより、外の方に入っていただき、新しい感覚やノウハウを加えたいと思いました。民間事業者に資金調達をお願いし、そのための収益施設、ここでは日帰り温泉施設を作り、公園の管理もまかせます」

万葉公園再生のコンセプトは「湯河原温泉場の屋外リビング&ガーデン」。玄関テラスにはカフェ、観光案内所、コワーキングスペース、足湯を備え、湯河原焚火イベントでは川沿いのテラスに自由に読める本も置かれた。 

自然の中に身を置く仕掛けがたくさん。温泉の神様を祀る熊野神社の手水はなんと温泉!

まちに似合うソロストーブ

公園も旅館もまちも巻き込み、マーケットには地域外からの出店もあるなど、たくさんの力が集結した湯河原焚火。

「登録有形文化財の宿を内覧させてもらうなど、それぞれのプレーヤーができることをしてくださり、まち全体でどこかで何かをやっているというおもしろい形になりました。その点と点を焚火がつなぎ、面になりましたね」

それにしても、焚火は人を寄せつける力があるとつくづく思った。そこに焚火がなければ、寒空の下、人々が足をとめ、暖を取りながら話が弾むなんてことはまずないだろう。炎を見つめる人はみんなおだやかな顔をしている。

この焚火イベントを可能にしたのが、アメリカ・オレゴン生まれのソロストーブだ。キャンプで使うというより、庭先のウッドデッキや商業施設の供用スペースに設置するストーブ。直火での焚火が難しい公園やまちなかでは、設備であるソロストーブだから使用が許された。

UPIで取り扱いのあるソロストーブ。独自の二重構造により少ない燃料で最大の火力が得られ、2次燃焼するため煙が少ない。

焚火はまちと人をつなぐツールになる。湯河原焚火でそう確信したと中西さん。このような焚火イベントが、また別の場所で、あたたかな輪をつないでいくと思う。

TEXT:YUKIE MASUMOTO
PHOTOGRAPHY:YUKO OKOSO

中西 佳代子(なかにし・かよこ)
中西 佳代子(なかにし・かよこ)

8年間の旧建設省勤務を経て、田村和寿氏の下で地域の現場を経験。ドイツ、米国で景観規制や都市・地域計画を学ぶ。ブルガリア、ベネズエラ、タイなどで地方活性、災害復興、人材育成などのプロジェクトに携わる。2010年、株式会社ランドスケープアンドパートナーシップ設立。主に、地域づくりのための調査、計画、地域合意形成、事業スキーム設計、制度設計、事業運営等を担う。2015年、一般社団法人ノオトの一員となり、古民家再生による地域づくりに参加。草津温泉、湯河原温泉の地域づくりには10年以上にわたり携わっている。

大社優子 (おおこそ・ゆうこ)
大社優子 (おおこそ・ゆうこ)

写真家。横浜・アマノスタジオにて森日出夫氏に師事。独立後、様々な広告写真やドキュメンタリー、出版物を手掛ける。現在に至るまで個展、企画展などを各地で開催。“DARK ROOM PHOTO SESSION”というテーマをその都度変えたポートレイト撮影会も行っている。鎌倉在住。

増本幸恵(ますもと・ゆきえ)
増本幸恵(ますもと・ゆきえ)

編集者。レクスプレス、エイ出版社、文化出版局で暮しまわりの雑誌やムックに携わり、現在はフリーランスで活動。食にまつわる書籍や雑誌の編集を主に手掛ける。生涯のテーマは見知らぬ土地への旅。いつか行きたいのは、スペインの巡礼路と、スウェーデンの建築家アスプルンドが手掛けた森の礼拝堂。