アウトドア大国のアメリカではパシフィッククレストトレイルやアパラチアントレイル、コンチネンタルディバイドトレイルのように数千キロに及ぶ長大なロングトレイルが整備されており、こうしたトレイルを数ヶ月かけて走破するハイキングが盛んだ。こうしたハイキングはさまざまな先鋭的なギアやスタイル、新しいアウトドアカルチャーまでも生み出してきた。一方。長野と新潟県境の里山に拓かれた信越トレイルや、全長100kmを超えるみちのく潮風トレイルなど、日本の各地にもロングトレイルは点在する。国土の広さや地形がアメリカとは全く異なることから歩き方もスタイルもアメリカのそれとは違っているけれど、石鎚山系ロングトレイルや金沢トレイルなど現在整備中のトレイルもオープンを控えていて、歩く旅の選択肢はまだまだ広がっていきそうだ。
古道は日本のロングトレイル
ところで、日本では山歩きだけではないロングトレイルの旅ができることも紹介したい。それが古道・旧道歩きである。いわゆる自然遊歩道・登山道を中心としたロングトレイルが土地の自然に親しめる道とするなら、古道や旧道は郷土の歴史や文化に触れられる街道だ。いにしえの人々が資材や日用品を運んだ生活の道、修験者が拓いた信仰の道、宿場町も設けられた産業道路……、街道沿いに現れる一里塚や馬頭観音などの石碑は当時に思いを馳せるよすがになるし、歩き疲れたころに登場する茶屋は旅人のオアシスだ。もちろん、こうした古道歩きには整備された舗道だけでなく山深い峠越えも含まれる。
和菓子店や甘味処は古道歩きに欠かせない憩いのスポット。
その土地ならではのものづくりに出合えるのも楽しみ。こちらは銘酒「秩父錦」で知られる秩父地域の酒蔵、矢尾本店の観光酒蔵「酒づくりの森」。秩父巡礼古道を歩いた際に立ち寄った。
古道・旧道歩きを始めるなら、徳川家康が江戸と各地を結ぶために街道の整備を始めた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)がヒントになる。各街道の起点はいずれも日本橋で、起点には各地に運ぶための物資を揃える問屋街が誕生した。中継地点には宿場や関所が設けられ、宿場町として栄えた歴史があって、訪れて楽しいスポットが残っている確率が高い。江戸時代になると庶民の間にも旅というアクティビティが広まり一大ムーブメントとなったというが、こうした街道は物資を運んだだけでなく、たくさんの文化も育んだ。たとえば十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、歌川広重による「東海道五十三次」、「木曽街道六十九次」のように。稀代の作家やアーティストたちが描いた、街道ならではのエピソードや風景は大衆に熱狂的に受け入れられたことだろう。
数百年という時を経て、現代に生きる私たちがそのルートを忠実に辿って歩くことができるのも旧道歩きの面白さだ。実際に歩いてみると、道沿いに現れる街や集落のなかに200年はおろか、300年、400年、あるいは1000年という月日を生き抜いてきた文化や営みに出合うことがある。それが文化財として丁重に保護されるでもなく、人々の生活の中に当たり前のように息づいていたりする。もちろん、時代の移り変わりと共にかつての文化が廃れ、当時の面影をまったく留めない地域もあるけれど、どんな地域にも息づく歴史や物語をリアルに感じられることが古道歩きの醍醐味なのである。
江戸時代にタイムスリップしたかのような風景を目にすることができる、木曽路の妻籠宿。古い街並みは、全国に先駆けて地域住民たちが行った景観保全運動の賜物。
トラベルライフスタイル誌『PAPERSKY』では、編集長であるルーカスB.B.の趣味ということもあって2008年ごろからチーム内の私的な遊びとしてこのような古道歩きの旅を楽しんできたが、消えつつある街道やそのまわりにある文化に光をあてようと、「Old Japanese Highway」というプロジェクトを立ち上げた。2016年からは雑誌内で各地の古道を紹介する連載ページを設けている。これまでに紹介してきた古道は、たとえばこんなラインナップだ。
鯖街道
福井県小浜市と京都・出町柳を結ぶ約80kmの街道。魚問屋が連なる小浜・いづみ町商店街で鯖焼きを食べ、京都・出町柳では鯖寿司でゴールを祝うという、鯖づくしが嬉しいルート。名前の由来は古くから「御食国」として都の食文化を支えてきた若狭湾の海の幸から。「京は遠ても十八里」といわれたように、この街道を通じて浜で一塩した海の幸を翌日に京都に届けた。途中の遠敷(おにゅう)ではゲーリー・スナイダーが惚れ込んだという素晴らしい千年杉を間近にできる。
鯖街道の起点、福井県小浜市のいづみ町商店街。
塩の道
太平洋側の静岡県相良町から松本を経て日本海側の新潟県糸魚川を結ぶ全長約430kmの塩の道は、塩や海産物を内陸へ、内陸からは木材や山の幸を運んだ。長大な街道の太平洋側を南塩、日本海側を北塩と呼ぶ。最盛期には北塩を通って1年で2万俵以上もの塩が運ばれたという大街道だが、急峻な山道が続くことから歩荷が活躍した。北塩で名を挙げた歩荷は、のちの黒部ダム建造の際には荷揚げ人として重宝されたとか。『PAPERSKY』チームは先人にならい、釜で炊いた塩を持って南塩をスルーハイク。翌年、北塩の一部区間、糸魚川から大町までを本誌内で紹介している。
深いブナ林のなかに急峻な山道が続く、北塩の大網峠。
木曽路
中山道のうち信濃国木曽を通るルートのことで、島崎藤村の「木曽路は全て山の中」というフレーズも有名。木曽川沿いの険しい峠や深い谷、山底を縫うようなルートが多く、往来が困難な街道として知られていた。妻籠宿や馬籠宿のような風情ある宿場町が江戸時代の街道の賑わいと往時の面影をいまに伝えている。石畳の峠道、奇岩の絶景など見どころも多い。
木曽路には風情ある建物が連なる一角が残っている。
秩父に拓かれた信仰の古道
『PAPERSKY』最新号では埼玉県秩父エリアにある秩父札所(三十四ヶ所霊場)をめぐる巡礼道の一部区間を紹介している。秩父地方には4つの市町村にまたがって34の観音霊場が点在している。1234年に開創された札所は庶民にも参詣が広まった江戸時代に最盛期を迎え、ご開帳の年には1日に数万人の巡礼者を迎えたという記録が残るほど。秩父巡礼古道がユニークなのは、江戸時代から歩かれてきた巡礼古道道をほぼそのままトレースできること。西国三十三ヶ所のように公家や武家からの保護を受けず、地域住民の手によって守られてきたこと。こうした背景や古道の見どころは、ぜひ本誌でご覧ください。
秩父札所をめぐる古道歩きの様子。
もう一つのハイライト、三峯神社へ
巡礼古道と直接の関係はないけれど、このエリアで立ち寄りたいのが三峯神社だ。標高1100mの山中にあり、神社の東には東京都最高峰の雲取山、白岩山、奥宮のある妙法嶽の3峰が連なり三峯という名前の由来になっている。由緒は古く、いまから1900年前、影行天皇により東国に遣わされた日本武尊がこの山に登り、お宮を造営して伊弉諾尊と伊奘冉尊を祀ったことがはじまりと言われている。平安時代には修験道の開祖、役行者がここで修行したことから山伏の修行道場となったことも。当時から神さまと仏さまのどちらも祀り、とくに仏教では天台修験の関東総本山としての格式を備えることから全国に三峯講が組織されるまでに隆盛を極めた。明治時代の廃仏毀釈により寺院を廃止、現在に至っている。
伊弉諾尊と伊奘冉尊を祀る三峯神社。
極彩色の拝殿や社殿は絢爛豪華で見応えあり。
札所巡りと併せるなら、秩父札所の第三十番法雲寺から国道140号を経て大輪(おおわ)から表参道を歩くのがいい。大輪から境内入り口の随身門まではおよそ2時間半のみちのりで、トレイル上にはV字に迫る谷にかかる登龍橋、森に囲まれた清浄の滝、妙法嶽を望む薬師堂跡など、次々と見どころが現れる。車道やロープウェイ(2007年に廃止)ができるまでは子どもも高齢者もこのトレイルを辿って参詣したものだった。
大輪から三峯神社へと至る表参道の入り口。
よく整備された登山道が続く表参道。
三峯神社の先にもトレイルは続いている
境内を散策したら奥宮のある妙法嶽まで足を延ばそう。奥宮から霧藻ヶ峰、白岩山を経て雲取山に至る約10kmはハイカーに人気の縦走ルートで、ツガやシラビソの原生林を抜け、稜線上をアップダウンしながら歩くトレイルでは首都圏にいるとは思えないみずみずしい自然の息吹を味わうことができる。雲取山からは奥多摩に抜けることも、6〜7日をかけて山梨県の雁坂峠から甲武信岳、国師ヶ岳、金峰山と、奥秩父主脈を縦走することも可能だ。埼玉、東京、山梨、長野と連なる奥秩父山塊は広大な山域に2000m級の山々が連なり、南北中央アルプスに対抗して東アルプスと呼ぶ人もいるほど。このように、三峯神社を拠点にさまざまなトレイルをつないでロングトレイルとすることもできるのだ。
茶店が連なる神社境内では食べ歩きも楽しい。
奥宮のある妙法嶽へ続くなだらかな尾根道。
自分の体力やスキル、求める風景、遊びかた次第で無限の可能性が広がるロングトレイルハイキング。こんな風に歴史・信仰の道と自然遊歩道や登山道をつないで、自分だけのオリジナルルートを作れるところも、この遊びの醍醐味なのだ。新鮮な感覚でいつもの道を見直してみれば、新しい旅の発見があるかもしれない。
フルストーリー【Old Japanese Highway 『秩父札所巡り』】はこちらから。(PAPERSKYウェブサイトへ)
TEXT:RYOKO KURAISHI
PHTOTOGRAPHY:YASUYUKI TAKAGI