「小さな生活」を背負う

5日間80km。「生活」しながら歩いたこと

湯沢駅から森宮野原行きのバスに揺られながら、「忘れ物はなかったか? 食料は足りるだろうか?」と同じことをぐるぐる考えていた。4泊5日、40Lのザックに詰めたものだけで80kmのロングトレイル「信越トレイル」を歩く。2019年秋、少し遅めの夏休みのことだった。

トレイル歩きの最初の洗礼は「まず私以外に登山者がいない」ことだった。これまでも北アルプスを中心に登山はしていたが、いたるところに登山者が歩いていて山小屋があった。人里が近いとはいえ、今回は山小屋がない。人ともすれ違わない。何かあってもひとり、という状況を心と体で理解するまで丸1日かかった。そういう意味でもまったく今までの山歩きとは違った。

16の峠を越え、5日目にゴールの斑尾山山頂に着いたとき、野尻湖や北信の山々を見渡したとき、たしかに少しはじんときたけれど、それよりも心に浮かんだのは「私がこの5日間やってきたことは登山ではなく、『生活』だったのかもしれない」ということだった。

北アルプスのように絶景が目の前に広がるわけでもない。ピークを目指す山があるわけでもない。ただ歩き、食べ、眠る。そのための最小限の道具と食料を40Lのザックに入れて持ち歩く。

「そういうことだったのか……」。食料が減った分だけ、少し軽くなったザックを背負い、新幹線で東京へ帰るとき、この5日間が何だったのか、これからの自分の生活にどういう意味があることなのかを繰り返し考えていた。

ひと1人が生きるための「小さな生活」

山の中を歩きながらの「日常生活」。具体的に振り返ってみたい。

(1)幕営地に着いたら、まずテント=家を設営する。マットとシュラフで寝床を整え、汗で湿った行動着や靴下、手ぬぐいを干す。

(2)日が暮れる前に夕食を作る。クッカーに収納していた食器やOD缶とバーナーを取り出して、湯を沸かす。レトルトを湯煎し、お湯でアルファ米を戻す。食器は洗えないので、ウェットティッシュで汚れを拭き取る。ゴミも一緒に持ち歩くので最小限に。

(3)寝る前に翌日出かけやすいように、使わないものはしまい、パッキングしておく。枕元には朝食の準備、足元には干して畳んでおいた着替え。テントのポケットに時計とスマホ。整理整頓。

(4)朝食をエナジーバーとインスタントコーヒーですませ、テントをたたむ。ザックにソーラー充電池を下げて電力を確保。不要時にはスマホの電源を切って節電。

(5)地図で確認しておいた水場で、浄水器を使って飲用水を手に入れる。次の水場までの分も確保する。ついでに濡らした手ぬぐいで顔や体を拭く。

1〜5までを毎日繰り返す。このための道具が40Lのザックにすべて収められている。

基本的にやっていることは、都会の家でも変わらない。家を整え、食事を作り、眠る。もちろん都会での生活と比べてる十分とは言えないが、ひと1人の生活なんて、実は40Lのザックの中身で必要十分を補える、とても小さなものなのだ。

「大きな生活」が失われるかもしれない日

ところで。信越トレイルのことを知ったのは、2013年。

本屋で「ロングトレイル」と表紙に書かれた雑誌を手にとったのがきっかけだった。当時私は都心の出版社で雑誌編集者として働いており、登山はおろか、アウトドアとは無縁の生活を送っていた。

2011年3月11日の東日本大震災。会社にいて大きな揺れに遭い、自宅には帰れず、都内の友人宅で一夜を過ごした。テレビから流れる圧倒的な現実である被災地の映像と、緊張感はあるけれど温かい家で朝食を食べていることに、心の着地点を見いだせなかった。

「引っ越しのときに教えられたガスが止まったときの復旧方法、ちゃんと聞いてなかったな」「ここ数年集めていた作家ものの器は無事だろうか」……そんなことばかりが頭に浮かんでは消えていた。

湘南の自宅に帰ると被害はなく、ガスも水道も電気も使えた。ほっと安堵したと同時に、「家」という快適な装置――仕組みを知らなくても、蛇口をひねれば水が流れ、スイッチを入れれば湯が沸く――に生活を委ねていることを思い知った。自分でハンドリングできないほどの複雑な装置で維持されている「大きな生活」に基づいて生きている。そんな思いが小さなしこりのように残った。

そんな最中、2016年にひょんな縁で北アルプスの山麓に引っ越しをし、都会の編集者としての暮らしをダウンシフトした。小さな家をセルフリノベーションして住み、仕事も最小限にした。しこりのせいかはいまもわからないが(単に忙しい日々に嫌気がさしていたのかもしれないが)、自分のできる範囲ではあるが、「小さな生活」を実践してみたくなったのだ。

山麓の暮らしを経て、東京に再び編集者として戻ったのは、2019年。雑誌に載っていたロングトレイルという言葉に惹かれながらも、すでに6年が経っていた。

「小さな生活」を営むちからを再び手にする

オフグリッドや自給自足、北欧やアラスカに暮らす先住民族のような生活を実践しているひとにとって、私の信越トレイルでの経験や山麓での生活は所詮おままごとのようなものかもしれない。

それでも最小限の道具を携えてトレイルを歩きながら営む「小さな生活」と、家という装置の中で営む「大きな生活」というものの違いを知ることができた。「そういうことだったのか」と。そのことに大きな意味があったと自分では思っている。

いまはコロナ禍もあって、アウトドアアクティビティがブームだ。私たちはすでに「小さな生活」を営むための道具をいくつか手にしている。登山でもキャンプでも釣りでも。きっかけは何だっていいと思う。手にしている道具を「小さな生活」の実践を意識して使ってみる。そのことで、装置に預けていた生活を自分の手に再び近づけることが、いまならまだできるかもしれない。

Illustration by Kanade Sangawa

村岡 利恵(むらおか・りえ)
村岡 利恵(むらおか・りえ)

大阪出身。女性誌やライフスタイル誌などの編集&ライターとして活動。2016年に北アルプス山麓に移住し、朝食カフェ兼編集室「hütte muumuu」を営む。現在は高尾山麓に暮らす。特技はコーヒーの焙煎。