鉄でシェラカップを作った若手職人の物語
表面は重めのオイルを塗ったように黒光りし、カップの内側には生々しい溶接痕が残されている。お世辞にもスマートとは言いがたい。シェラカップを鉄で作ることに、いったいどんな意味があるのだろうか。これが偽らざる第一印象だった。
左からロッキーカップ型のYASHIMA(ヤシマ)、シェラカップ型のHANZAN(ハンザン)。
「僕も最初はそう思いました」と、UPIアドバイザーの寒川一さんは笑って言った。
寒川さんは、こだわりの焚き火道具ブランド「TAKIBISM」のプロデューサーである。ブランドのパートナーで開発者の槇塚登さんとモノ作りを進めるために、香川県にある槙塚鉄工所を頻繁に訪れていた。そんなある日のこと、鉄工所の2階に併設されたギャラリーで、作品として展示されていた鉄製のシェラカップに目が止まったのだった。
槙塚鉄工所は、鉄を使って空間の個性を作ることに定評ある鉄工所である。目指しているのは家具から什器、階段に至るまで、実用品でありながらも、独特の存在感を放つアーティスティックなモノ作り。そこから生まれてきたのが、分割収納できる火吹き棒「ブレス トゥ ファイヤー」や、フライパンとしても皿としても使える「フライパンディッシュ」といったTAKIBISMオリジナルの個性的なアウトドアプロダクツだった。
そんな槙塚鉄工所には、ちょっとユニークなルールが存在していた。それは、勤務時間を終えた工場スタッフは、夕方17時以降も工場に残って自らの作品づくりに励んで良いというもの。人前に出す作品を手がけることで、鉄工技術のスキルアップと、作家としての独創性が養われるという教育的な意図もあった。それは自ら鉄作家でもあり、鉄工所代表でもある槇塚さんならではの考え方だった。
工場で働く職人たちが丹精込めて作った作品は、工場2階の「ギャラリーアルターナ」で展示販売されている。寒川さんが発見した鉄のシェラカップもそのひとつ。作り手はフクシマミノル君という当時入社1年目の若い職人だった。
香川県高松市内にある槙塚鉄工所。2階には工場で作られた製品や作品が並ぶ「ギャラリーアルターナ」がある。Photography by Michinori Aoki
ミノル君はもともとキャンプ好きだったようで、槙塚鉄工所に入社したのもTAKIBISM製品に興味を持っていたからだった。だが、入社後は階段や手すりといった大がかりな製作を担当する部署に配属された。得意先から受けた注文を注文通りに作るという町の鉄工所としての仕事を、まずはキチンと身につけるのが職人としてのセオリーだったからだ。
「ミノル君は入社当時からTAKIBISMをやりたくて仕方なかったんでしょうね。でも、できない。その気持ちがこの鉄のシェラカップを作らせたのだと思います。もしも彼が最初から希望の部署に配属されていたら、これは生まれなかったかもしれない。そこまでのストーリーも含めて、僕はいいなと思ったんです」
作品を手に取ると、カップの底には「TETSU」というアルファベットが刻印されていた。TETSUとは「鉄」という意味だろうか。「そんなのは見ればわかる」と愉快な気持ちになった寒川さんだったが、隣に刻印されていた製造月日を見て「運命を感じた」という。
「たまたま自分の誕生日と同じだったんですよ。これは買わないといけないと思いましたね。不器用なネーミングですが、よくよく考えてみれば、鉄への強い思いがギュッと込められているような気がしました。でも、それにしても作り方は下手クソだよなと思っていたら、『あえてそう見えるように作っている』と槇塚さんは言うんですよ。その点を含めて、彼はこの作品を高く評価しており、実際、ギャラリーでも人気で、出せばすぐに売れてしまうほどだったようです」
一般的なシェラカップはプレス製法で作られるが、その作品は溶接で作られていた。そのせいか、一見して仕上げが甘く、形も少しいびつに見えた。だが、実際のところは、キッチリ計算したうえで高い技術で作られたモノであり、本当にラフに溶接しただけであれば、器として成立させるのは難しい。そこは見る人が見ればわかるのだという。
あえてカップ内側に残された溶接痕からも、それはうかがい知れた。側面の合わせ目も、底面の周囲も、外側はサンダーで綺麗に削り取られているのに、内側だけはあえて残している。「そこに職人としての痕跡を残したかったのだろう」と寒川さんは言う。
カップの内側にも外側にも、職人の手仕事の痕跡が残されている。
この若き職人、ミノル君の作品に魅入られた寒川さんは、ぜひ、これを本格的に商品化したいと考えた。そうして槇塚さんと打ち合わせを重ねながらアイデアを練り、最終的に槇塚さんのブラッシュアップによって完成させのが、新たにTAKIBISMに加わった鉄鋺シリーズ「HANZAN(ハンザン)」と「YASHIMA(ヤシマ)」である。
シェラカップには自然を愛する象徴としての歴史があった
ここでシェラカップについて振り返っておこうと思う。おそらく、キャンプ好きなら誰でも1つは持っているであろうアウトドアの定番カップ。これはもともと、1892年にサンフランシスコで設立された自然保護団体「シエラクラブ(Sierra Club)」で、会員証代わりに配られたものだった。その後、一般のアウトドア向けにも広く売り出されることになり、その売り上げの一部はクラブの活動費として役立てられたという。
このカップを持つことは、シエラクラブの設立者であり、自然保護の父と呼ばれるジョン・ミューアへのリスペクトを意味し、引いては自然保護に関心を抱くアウトドアズマンとしての証にもなっていたという。
とはいえ、シェラカップが長い年月を通して人気を博してきた最大の理由は、アウトドア用品として機能的だったからだ。肉厚のステンレス製で、ラフに使ってもへこんだり壊れたりすることがなく、直接火にかけることができた。その際、ワイヤーパーツ製の持ち手は本体を一周して縁を被せた構造だったことで、持ち手も縁も熱くなりにくかった。つまり、カップとしても調理器具としてもマルチに使える道具であり、なおかつ、スタッキングが容易だった。
これが1960年代後半から大きな盛り上がりをみせていたアメリカのバックパッキングムーブメントとともに広がり、ミニマリストたちの象徴的な道具として広まっていったのだ。
また1980年代にはシェラカップの容量を増やしてさらに実用的になったロッキーカップが登場し、今ではシェラカップ同様に、アウトドアグッズの定番として定着している。
なお、「シェラカップ」の名称は、シエラクラブが生まれたアメリカ西海岸のシェラネバダ山脈にちなんでいるのに対して、深型の「ロッキーカップ」は、より本格的なスケールを持つロッキー山脈に由来している。「シェラよりも大きいからロッキーになった」というのは、ウソのようなホントの話なのである。
新たに誕生した鉄鋺シリーズの「HANZAN」と「YASHIMA」は、それぞれシェラカップとロッキーカップへのオマージュを込めて、本家本元オリジナルの形状と容量に限りなく近づけて仕上げられている。正確にいえば、2つを重ね合わせて使うときのために、HANZANの口径はオリジナルシェラカップよりも、やや大きめだ。また、どちらも持ち手は直接カップに溶接されているため、縁の周囲にワイヤーは通っていない。
ちなみに、それぞれのネーミングもまた、香川県に実在する二つの山にちなんでいる。HANZANは寒川さんの生まれ故郷の丸亀市の飯野山(通称”讃岐富士”)がある飯山(ハンザン)地区から、YASHIMAは高松市内の海に面した平らな山頂を持つ台形の山(屋島)で、その麓には槙塚鉄工所がある。2つのカップを伏せて置くと、自分たちの家から見える馴染みのある山の形に似ている。寒川さんと槇塚さんの二人は、そこまでこだわった、という点にもほんの小さな喜びを抱いているようだ。
左から高松市の屋島と、丸亀市は飯山地区にある飯野山(通称=讃岐富士※撮影=寒川一)。
あったかい料理を、あたたかくいただくために
さて、この「HANZAN」と「YASHIMA」だが、鉄でできた器であることのメリットもお伝えする必要があるだろう。ひと言でいうなら、直接火にかけることができて、火から下ろしても保温効果があること。つまり、あったかい料理を、あたたかくいただくにはもってこいの調理用具であり、同時に器なのだ。
それはオリジナルのシェラカップだってステンレス製だから同じではないか、と言われば返す言葉はない。だが、あの絶妙に鈍く光る美しいシルバーのカップを直接焚き火にかけて、真っ黒なススだらけにするにはちょっとした覚悟が必要だ。
その点、最初から腐食防止の黒い皮膜が焼き込まれた鉄鋺シリーズなら、堂々と、心置きなく直火にかけることができる。もちろん、アルミ製やチタン製のシェラカップにはない、適切な熱伝導性も鉄の持ち味だろう。
さらに、黒い鉄鋺の周囲をゆらゆら包む赤い炎を見ていると、まるで焚き火にかけるために生まれたのではないかと思えるほど、色彩的にも見事なマッチングを見せてくれる。
そんな器でもあり、調理用具でもある「HANZAN」と「YASHIMA」で、どんな料理を作るかはアイデアと工夫次第だ。焚き火にかけてグツグツとやるなら、スープやアヒージョ、おでんといった各種煮込み系が一番。あたたかい料理をそのままの器でいただき、場合によっては、再び焚き火にかけて、あたため直すのも容易だ。
エビと季節野菜のアヒージョ。油の中の食材がよく映える。
TAKIBISMと親交の深い北欧アウトドアクッキングブランド”DALUM”のグリドルと組み合わせて、豪華なチーズフォンデュ。
さらに、500mlの容量がある「YASHIMA」に「HANZAN」でフタをすれば、小型のダッチオーブンとしても使える。炭火を乗せた上からの熱を上手に使えれば、定番の焼きリンゴや、新玉ネギの丸ごとスープ、チーズをカリカリに焼いたグラタンやラザニアもいいだろう。変わったところでは、弾けた実がカツカツと音を立てて鉄鋺を叩くポップコーンも楽しい。もちろん、一人用のご飯を炊くことだってお手のものだ。
YASHIMAとHANZANを重ねて小型のダッチオーブンに。焼きリンゴがちょうどのサイズだ。
「黒い器は料理をおいしく見せるんですよ。いろいろな料理を焚き火で作るのは、キャンプの一番の楽しみですよね」と寒川さんは言う。そのうえで、と言葉を繋げる。
「焚き火にかけて湯を沸かし、そこに即席麺を割って入れて卵を落としただけの即席ラーメンを作ったら絶対にうまいですよ。直火で作る料理って、そういうシンプルなほうが意外と似合ったりしますよね」
フライパンディッシュを蓋として使って、即席ラーメンも最高だ。
ちなみに、鉄鋺シリーズはあらかじめシーズニング済みだが、完全に錆びを防ぐことはできないので、使用後はよく洗ったうえで水気をよく切って乾燥させ、定期的にシーズニングを行うことが奨励されている。その点では少々面倒だが、それは鉄の器や調理用品にはついてまわること。むしろ、手入れを重ねるごとに深まる色合いを楽しみにしながら、手入れをしながら道具を育てていく喜びは、ステンレスやアルミにはないものである。それはもはや、民藝の世界にも通じるものがある、といったら大げさだろうか。
「YASHIMA」と「HANZAN」のストーリーは、いったんここで終わるが、鉄に惹かれた男達のロマンは尽き果てることはなく、彼らのこだわったモノ作りはこの先もまだまだ続いていくはずだ。
INTERVIEW & TEXT:CHIKARA TERAKURA
PHOTOGRAPHY:YUKO OKOSO