6月の夏至の頃、阿寒湖、オンネト−、足寄で、素晴らしい数日間を過ごした。
足寄のラワン川沿いにあるラワンブキ群生地で、「日本一巨大」と言われるラワンブキの刈り取りをして、森で「幻のキノコ」とも言われるタモギ茸を採り、その夜、郷右近富貴子さんの手料理、「ラワンブキの肉詰め」、「タモギのオハウ」や、富貴子さんの母、床みどりさんが作った「フキと鹿肉の炒め物」、「フキの漬け物」などに舌鼓を打ちながら、サッポロCLASSICラガーや地酒を呑んだ。そして、富貴子さん、みどりさんらの話に耳を傾けた。北の島の、心が温かくなる「旅の夜」だった。
床みどり「アイヌは旅の話が好きなんだ」
「わたしが子供の頃には、放浪者のような旅の人がけっこういたのよ」と、富貴子さんの母、みどりさんが話してくれた。
夏の阿寒湖の夜。僕は、アイヌコタンにある、「民芸喫茶ポロンノ」のカウンターで、隣に座る床みどりさんの言葉に耳を傾けていた。「ポロンノ」は昔、みどりさんが開いたアイヌ料理店だ。今はみどりさんの次女、富貴子さんが、夫の郷右近好古さんと一緒に営んでいる。富貴子さんは今、カウンターの中で、僕らに出す夕食をせっせと作っている。みどりさんが語る。
「見知らぬ旅人が、今晩だけ泊めてもらえませんか、って訪ねてくるの。すると、うちの母は、いいよって言って入れてやる。そして、何か食べたかい?って聞いて、もちろん食べてないから、あるもので何か作って、一緒に食べるんだ。アイヌはね、困っていたら食べさせるし、泊めてあげるんだよ。だから、あの頃は、そういう放浪者たちの間で、『行き場に困ったらアイヌの家を探して行け』という話が広まっていた。うちにも、けっこういろんな人が泊まっていったけど、中には悪い人もいたよ。翌朝、姿がなくて、自転車とか鉈とか、何かなくなっているんだ」
「ばあちゃんはね(みどりさんの母、遠山サキさんのこと)、誰かの旅の話を聞くのが好きだったんだよね。だから旅人を泊めて、何か食べさせて、それでその人の話を聞いていたのだと思う。寅さんみたいに話すのがうまい人もいるし、人を笑わせるのが得意な人もいてね。泊めてもらったお礼にと言って、書を書いて壁に貼っていった人もいたよ」
「わたしとお父さん(夫の床明さん)は、店をやりながら、昼も夜もコタンのチセで踊っていたから、とにかく忙しくて。ばあちゃんは子供たちを案じて、富貴子や絵美たちの面倒を見てくれていた。ばあちゃんが、わたしの娘らに、歌や料理、もの作りとか、教えてくれたんだね。ばあちゃんの家に行けば、いつも大鍋で何か作っていて、富貴子はそばでそれを見ながら自然に覚えていったんだと思う」
郷右近富貴子「アイヌであることは当たり前」
「小学生のとき、36人くらいのクラスで、その中にアイヌは私を含め2人だけだった。姉のクラスにはもう少し多くアイヌがいたと思う。たぶん、7〜8人かな」
「阿寒のアイヌコタンで暮らして、チセではアイヌの伝統舞踊を踊っていて、母やコタンのおばちゃんと山に行って山菜採って、祭りの前にカムイノミして(カムイノミ/神に祈る、という意味。アイヌが、熊など神格化した狩りの獲物や自然界に対して、カムイに感謝し、神の国へと送り帰す儀式や伝統)。そういったことがルーツに根ざしていると言えば、その通りだけれど……、なんて言うのかな、そういったことはすべて暮らしの一部だから。若い頃は、継いでいく、みたいに大袈裟に考えたことはなかった。でも今になって、一つ一つを紐解いて、学んで身につけて、次に渡していけたらな、と思い始めている」
「父と母が忙しかったから、私と姉は、よくばあちゃんの家や、おばちゃんの家で過ごしていた。夏の間、祖母の家で暮らしていると、時間の隙間にアイヌの手仕事をしていたり、子守唄のかわりにアイヌの歌を歌ってくれたりした。そして、少し教わったりもした。地道にアイヌの手仕事や歌など、アイヌ文化を日々の暮らしの中で大切に実践していた祖母だった」
「私が育ったこの場所、アイヌコタン、そしてこの店ポロンノは、阿寒湖の観光地の中にある。私はそこで、アイヌ文化を基に暮らしてきているけれど、大事なことの多くは、祖母から教わった」
歌と踊り。
「歌も踊りも好き。でも、歌に興味を持ち始めたのは、わりと大きくなってからかな。母は、アイヌの歌や物語が好きで、昔、コタンに、古い物語をたくさん知っているおばあちゃんがいたんだけど、時々家に招いては、おばあちゃんの好きなものを作ってご馳走しながら、物語や歌を聴かせてもらっていたみたい。当時のテープが残っていてね。赤ちゃんの頃の私や姉の声が時々聞こえてきて、そのおばあちゃんの語り声と、相づちを打つ母の声がして、懐かしく愛おしい気持ちになるよ」
「お酒を飲めるようになってからは、よく母にくっついてコタンのおばちゃんの家に行った。お酒がまわって興に乗ってくると、歌があふれ出てくる。その歌は、とても古い歌だったり、楽しい歌、悲しい歌、懐かしい歌……。その場に集まった人それぞれが、あふれる喜び、やるせなさ、そういった感情を共に感じて憂さを晴らすような……。やさしくて、今となってはとても貴重な場に、私と姉は度々居させてもらった」
カムイと樹。
「オヒョウという樹の皮を剥いで、樹皮から糸を作る作業とか、気が遠くなるくらい永遠と続くような手仕事だけど、とても豊かな時間で、ずっとそれをし続けていたくなってしまう。自然のものから紡いでいく手仕事は、手間もかかるけれど、時間をかけて丁寧に作っていきたいと思っている」
「アイヌにはいろんなカムイ(神さま)がいる。熊、タヌキ、キツネ、フクロウ、みんなカムイ。鹿や鮭は天から下ろされたもので、そこには、ユクランケカムイというシカを下ろすカムイがちゃんといる。鹿はアイヌ語ではユッ(yuk)、獲物とか、食べ物、肉という意味があるし、鮭はシペ、本当の食べ物、という意味もある」
「昨日、ラワンブキの後にみんなで見に行った、オンネトーの近くの森の中の、あの太い大きな樹。ああいう立派な樹にはシリコロカムイという名前がある。大地を統率する神、大地に根付いて守っている神、というような意味。火、風、空、太陽も、カムイだよね。(カムイとは)人の力の及ばぬ大きな存在であり、私たち人間を生かしてくれている尊いもの」
「母につれられて山菜採りとか、小さい頃から山や森に行っていたから、私はやっぱり森が大好き。樹に触れると安心できる。守られている感じがする。私は、大きな樹に出逢うと、とっても嬉しい」
Photography by YUKO OKOSO
Interview & Text by EIICHI IMAI