郷右近富貴子さんと、夏の数日。
夏至の頃、北海道の道東で、夢のような数日間を過ごした。
場所は、阿寒湖、オンネトー、足寄。季節は6月、夏至の数日前。北の島の太陽は眩しく、力強く、日はたっぷり長かった。東京は梅雨の雨だったが、釧路空港に着いて、飛行機から降りて外に出ると、そこには北欧のような光と空気があった。
僕らはまるで、夏休みの少年少女だった。
素敵な夏休みの時間を用意してくれたのは、アイヌの郷右近富貴子さん、姉の下倉絵美さん、ふたりの母である床みどりさん、その家族と仲間たちだ。
僕たちは、日本一巨大な蕗(フキ)、「ラワンブキ」の刈り取りに同行し、タモギ茸を採りに森へ入り、それらを使ったアイヌ一家の家庭料理を食べ、翌朝は、カナディアンカヌーを漕いで阿寒湖へ。アイヌの人々にとって「大切な場所」と言われるオンネトーの湖畔で、雌阿寒岳、阿寒富士を見上げた。
初夏の水辺で、ラワンブキを刈り取る。
足寄町を流れる螺湾(ラワン)川沿いに自生する「ラワンブキ」は、高さ2〜3メートルになり、茎の直系が10cmを超えるものもあるという。「日本一巨大なフキ」として知られている。
3年前の夏の話。2018年の夏至を過ぎた頃、郷右近富貴子さんは、足寄町にあるラワンブキ畑(ラワン川沿いの湿地帯に広がるラワンブキの群生地)に、大きなラワンブキを「買いに行く」ことにした。買いに行く、というのは、その群生地が、一帯の牧草地を営む農家の土地の一画だからだ。土地の持ち主であるファーマーのおじさんに連れられて、ラワン川を渡って群生地に入り、おじさんと一緒に巨大なフキを刈り取り、それを買い取るわけだ。
富貴子さんにとってフキは、子供の頃から食べていたし、母や姉と一緒に、フキも山菜も山にいって自分たちで採っていたが、これほど巨大なラワンブキを刈り取るのはそのときが初めてだった。「3年前、そして2年前の夏、足寄町のオンネトー野営場で、モーラナイフ・アドベンチャー in Japanが開催されました。あのキャンプイベントが、この巨大なラワンブキとの出逢いでした」と富貴子さんが話してくれた。
「あのとき、キャンプ地で、私の店がケータリングをすることになりました。せっかくだから、いくつかアイヌの伝統食や家庭料理を出そうと考えたんです。で、アイヌ料理ならフキでしょ!と思って」
「キャンプは3日間。昼間いろんなワークショップがあるから、参加者はみんな夜にはお腹が空いているはず。だったらフキの肉詰めにしよう、中に肉を詰めるなら(大きな)ラワンブキがいい、と思いました。足寄に大きなフキがあるよ、という話を聞いて、見に行ってみたらメチャクチャ巨大だった。あんなに大きなフキを見たのは初めて。農家のおじさんにトラクターに乗せてもらって川を渡りラワンブキ群生地まで行く、という流れも面白すぎて(笑)。それまでフキは、自分で山に採りに行くものだったけれど(つまり買うものではない)、これならお金を出して買う価値がある、と思いました。そのイベントのおかげで、毎年初夏の頃に、家族みんなでラワンブキを買いに行く(刈り取りに行く)というのが、うちの定番になったんです」
ラワンブキ群生地があるのは、富貴子さんが暮らす阿寒の隣町、足寄町。キャンプイベントの開催地であるオンネトー野営場があるのが、その足寄町なのだ。群生地へ行くときには、オンネトーのすぐそばを通る。
「オンネトーのすぐ近くにある群生地で採れたラワンブキを肉詰めにして、オンネトーでおこなわれているイベントの夕食に出すというのは、必然というか、その土地のものを食べてもらえるわけだから、よかったなと思います」と富貴子さん。
ということで僕らは、富貴子さんたちの年中行事に便乗し、農家のおじさんのトラクターに乗せてもらって川を渡り、ラワンブキ群生地へと入り込み、巨大なラワンブキを一緒にたっぷり刈り取った。
ラワンブキの束(大量!)を車になんとか積み込むと、阿寒湖のアイヌコタンへと戻る途中、オンネトー湖畔の展望地に立ち寄った。静かで美しい、そして、神秘的なオンネトーと、雌阿寒岳、阿寒富士の変わらぬ姿がそこにあった。
初夏の森で、タモギ茸を採る。
コタンへ戻る前に、キノコを採っていこうということになった。「タモギというキノコを採って、それでオハウにしましょう」と富貴子さんが言った。
「オハウ」はアイヌの伝統食のひとつで、温かいスープ、煮込み汁のことだ。獣肉、魚、山菜、野菜など、その時々で手に入ったものを煮込んで作る。タモギとは、タモギ茸とも呼ばれる黄色いキノコ。収穫量が少ないため「幻のキノコ」とも言われる。初夏の季節、北海道では広く自生のタモギ茸が採れるという。
山道に入って車を停めると、タモギを求めて森に入った。夏の眩しい光は樹木の葉に遮られ、森の中は薄暗い。エゾハルゼミの鳴き声が響く。富貴子さんの母、みどりさんが、率先して先へ先へと草をかき分け進んでいく。「母は、山と森が大好きなんですよ」と富貴子さんが微笑む。
「小さい頃から母に連れられて山に行っていました。母は小さな私をおんぶして森に入り、そのうち背中に私がいるのをすっかり忘れて、木をくぐり抜けるとき私のおでこに枝がゴン!ってぶつかり、私が泣き出して、あっごめん! とか、もうそんな感じ(笑)」
「森は、季節の移り変わりを感じ、原点に帰るところ。山菜採りで、コタンのアイヌのおばちゃんたちと一緒に森に入ると、いろんなことを教えてくれる。そういう時間を大切にしてきました」
「たとえば、キノコや山菜は、ひとつの場所ですべて採ってはいけないんだよ、と教えてもらった。いつも、もう少し採りたいな、というところでやめる。で、次の場所に移動してまた少しだけ採る。そうやっていると、森の中をたくさん歩くことになるから疲れるけど、『それが大事なんだよ』と教わった。『すべてを採ってしまうと、次の年に山菜が育たなくなるからね』。おばちゃんのひとりは、森の中を歩きながら、いちいち樹や枝に話しかけていた。『どうもねー、それでさー、あのねー』みたいに草や花に語りかけていて、どう見ても会話しているとしか思えない。倒木があると、『あー、おつかれさまねー』と言って手でなでたり。そういう姿を見ていたから、私にとっても、山や森は先生であり、暮らしに欠かせない存在かな」
タモギのオハウ、ラワンブキの肉詰め。
阿寒湖のアイヌコタンにある、アイヌ料理店「民芸喫茶ポロンノ」。観光客だけでなく、地元の人たちもアイヌ料理を食べにやって来る。にぎやかな夜には、カウンターに立つ富貴子さん、夫の郷右近好古さんを囲むように、地元の人たちと旅人が一緒になって、酒のグラスを傾ける。
富貴子さんの母、みどりさんがこの店を始めたとき、「自分が食べてきたアイヌ料理を出そう」と考えた。オープン当初からある「ポッチェイモ」「コンブシト」は今も人気メニューだし、新しいメニューも次々と増えて、今に至る。
現在は、富貴子さんと好古さんの2人が切り盛りする「ポロンノ」だが、みどりさんも度々訪れるし、富貴子さんの父、床明さんも顔を出す。「うちはみんな、はなし好きなんです。お酒呑みながらいろんな話をするのが好きだから」と富貴子さんは笑って言う。そんな話をしながら、富貴子さんは僕らのためにせっせと晩ご飯を作っている。楽しい話を聞きながら、こちらはもうビールを飲んでいる。僕はサッポロの赤星、一緒に来ている友人の寒川一さん(UPIアドバイザー)はサッポロCLASSICラガー。写真家の大社優子さんは、北海道のクラフトビール「haskap(ハシカプ)」のフルーツエール。小さなこだわりが、誰にもある。
昼間みんなで刈り取ってきた巨大なラワンブキを使った「ラワンブキの肉詰め」や、森で採ったタモギで出汁を取って「オハウ」を作っていく富貴子さん。アイヌコタンに育ったアイヌの踊り手であり、唄者であり、アイヌ伝統の手仕事を受け継ぐもの作り作家であり、家庭料理を作る母親である。
「モーラナイフ・アドベンチャーに、スウェーデンではとても有名だという、木工作家のヨッゲ・スングヴィストさんがアンバサダーとして参加していました。彼にとって初めての日本でしたが、アイヌ料理はもちろん、アイヌ文化への深いリスペクトが伝わってきて、それはすごく嬉しかったことのひとつ。彼のナイフや斧の扱い方、動きの美しさに感銘を受けました。夏とはいえオンネトーの辺りはけっこう寒くて、キャンプイベントでは一日中、焚火が燃えていました。炎のそばで彼は、参加者に教えながら、とにかく楽しそうに嬉しそうに木を削っている。その背後には、彼の、樹や森への愛情というか、木への想いが感じられた。素晴らしい人でしたね」
「私たち、キャンプとなると、なんとなくイベントっぽくなってしまって、いろいろ忙しくしちゃうんですよ。何かしなくちゃいけない! さぁBBQして肉!みたいな(笑)。でもあのとき、焚火を囲み、ホリホリ、ホリホリ木を彫っていると、ただそれだけで、とても豊かで贅沢な時間なんだ、ということに気づいたんです。ひたすら黙々と木を削っているだけで、こんなにも満たされるんだな、って」
「ヨッゲさんが使っていたククサが、美しかったな。お父さんが使っていたものだと愛おしそうに語っていました。木っていいな、古いものっていいな、と思った。彼は、使っている道具まで美しかった。そういうすべてがこの人を作っているんだなぁと思って、深く感動しました」
Photography by YUKO OKOSO
Interview & Text by EIICHI IMAI