「自然崇拝」に根ざした生活文化を守ること 〜北欧の先住民サーミ人の視点から考える自然享受権〜

サーミ人の伝統的な「自然崇拝」

 「スウェーデンの自然享受権について、どのような意見を持っていますか?」という私たちの最初の質問に対してパールエリック・クオリヨックさんはこう答えた。

 「賛成です。このようなスウェーデン全土共通のルールがあるのは誰にとってもわかりやすくてよいと思います」

 クオリヨックさんは、北部の町イェリヴァーレの中心部から約90キロの距離にあるルオクトという自然豊かな土地に暮らし、トナカイの飼育業や観光業、翻訳業を営んでいる。また「ヨイック」という民族音楽の歌手としても活動し、先住民の文化について積極的に発信している。

サーミの伝統的衣装を着たパールエリック・クオリヨックさん

 現在58歳。木造の家屋で同居しているのはふたりの娘、そして生後3か月の子犬。この子犬は最近フィンランドへ迎えに行ったばかりで、いずれ猟犬として活躍するよう育てているという。

 サーミ人の代表的な生業である「トナカイの放牧」をクオリヨックさんもおこなっており、家庭では主食としてトナカイの肉が毎日食卓に並ぶ。また、肉のみならず血、骨、腸、舌、心臓などを食し、皮を伸ばして乾燥させたものを敷物として利用する。

 サーミ文化の暦には8つの季節があると言われる。取材をした9月から10月は秋にあたり、山岳地帯に放牧しているトナカイを集め、肉などを得るために雄の一部を捕獲して屠殺する季節。またブルーベリーやコケモモの収穫に勤しみ、森の中でのヘラジカ猟が解禁される時季でもある。

自宅の壁にはヘラジカの角
熊の脂

  今回、私たちはスウェーデンの自然享受権をめぐる先住民の側の考えを知るため、サーミ人が信仰する伝統的な自然崇拝のことからクオリヨックさんにたずねてみた。

——サーミ人にとって、またクオリヨックさんにとって自然崇拝とはどのようなものでしょうか?

 「何世紀も前にスウェーデン政府はサーミ人をキリスト教化しました。両親もまた、私のことをキリスト教の信者にしようとしました。しかし自分は自然を崇拝しています。

 私はルオクトの対岸で生まれ、1歳半でこの地に越してきて、大自然の中で生まれ育ちました。そして気分が沈みこむ時や何か問題を抱える時、自然の中で過ごすことによって気持ちが晴れたり、問題を解決する方法が見つかったりすることを独力で発見しました。神に祈るのではなく自分を信じて、みずから解決策を見出すのです。サーミ人の世界観には、神は自分自身という信念があります」

——サーミ人の伝統的な自然崇拝を守るために、個人的に実践していることはありますか?

 「山の中に自分にとって大切で信頼できる石があり、何か悩み事があるとそこへ行き、石に話しかけて相談をします。特別な儀式をするわけではなく、また石が具体的な答えやアドバイスを与えてくれることもありません。猟や釣りで収獲がない時もそれはそれで状況を受け入れ、結果に身をまかせるしかないのです。しかしそうやって石に語りかけることで、前に進むことができます。

 自分の死後、遺灰はその石の周辺に撒いてもらうと決めています。墓石はつくりません。子どもたちにもそのことは伝えているし、石のある場所も教えています」

自然界で生きるための知恵と実践

——そのような自然崇拝の教えを、子どもたちや若い世代の人々に伝承していますか? 具体的にどのようなやり方で伝えているかも教えてください。

 「子どもたちには普段から、自然界は心を元気にしてくれる『薬局』だと伝えています。気持ちを落ち着かせたいなら例の石に1時間ほど座ってごらん、とアドバイスすることもあります。

 またソーシャルメディアなどを介して、自然をめぐる自身の哲学や目にした光景を広く紹介する活動もしています。自分がよいと信じることを他の人びとの生活にも取り入れてもらえたら、と願いつつ。

 とはいえ、他の人に強制するつもりはまったくありません。人間には、自分の考えが遮られることのない自由が必要です。よいと信じることを代々伝えることは大切ですが、子どもたちに対して強制するルールは一つもありません。私はかれらが生きたいように生き、やりたいことや興味のあることが実現できるように協力します。家の中で喧嘩をしたことは一度もありません。

 子どもたちが携帯電話やコンピューターの前で長く座り込んでいるのに気づいたら、『見るのをやめなさい!』と怒る代わりに『湖へ水辺の様子を見に行こうか?』と言って、自然の中のアクティビティに誘い出します」

自宅の近くにある湖のほとり

——家の仕事を子どもたちが手伝うことはあるのでしょうか?

 「はい、最近では進んで手伝ってくれます。末っ子の娘は将来、兼業でトナカイの放牧をしたいと希望しているので、彼女のためにトナカイの数を増やす投資をしようと計画しています」

——クオリヨックさんが自然の豊かさ、その恩恵をもっとも強く感じるのはどのような時でしょうか?

 「家の外で何かをするたびに感じています。例えば車から降りる、そんなふとした時にも。またサウナに入り、火照った体を冷ますのに湖へ向かう時にも。

 年を重ねることで自然への感謝の気持ちがより増えてきました。世界各地で人間の社会を揺るがせる深刻な問題が起こっているのをニュースで聞いたり読んだりした後、大自然の中でこれほど安全な場所で暮らせることにあらためて感謝しています。

 都市に暮らす人の中には自然界を危険な場所であるという人もいますが、そこに危険はありません。たとえ雪山の中で嵐に遭遇しても、私には自然に対応する中で培われた知識と経験があるので危険だとは感じないでしょう。なぜなら吹雪の中でも、風の吹く方向や雪を掘って石に生える地衣類の色などを確認することで方角を判断することができるからです」

自宅敷地内にあるコタ(肉をスモークしたり、家族や訪問者とともに焚火をしたりする小屋)

——反対に、現在の自然環境を取り巻く状況に対して危惧していることはありますか?

 「私たちサーミ人の土地では長年鉱山開発がおこなわれ、地盤沈下やそれに伴う町移転の問題が起きています。人間にとってもっとも大切なものは水、食べ物、空気ですが、産業が環境に負荷を与えることで、それらをもたらす山、大地、川のすべてが変化しています。

 また近所にダムがあるので、今年20218月にドイツとベルギーで起こったような大洪水の被害をこの地も受けるかもしれません。人類が自然界に重大な影響を与えた仕業による、気候変動や地球温暖化の問題を心配しています」

土地利用の権利をめぐる異なる視点

 パールエリック・クオリヨックさんが活動をしている土地は、スウェーデンの世界遺産「ラポニア地域」に指定されている。四つの国立公園と二つの自然保護区があり、一帯には先住民サーミ人の伝統的な生活文化が残されている。

 今回、現地での取材と翻訳を担当した上田佐絵子さんから興味深い話を聞いた。ラポニア地域ではスウェーデンの憲法で保障された自然享受権にもとづく土地利用、自然保護のルールが明文化されているが、クオリヨックさんは果実採取権(苺類の外部への持ち出し)に関してそれとは異なる意見を持っているという。

9月から10月はブルーベリーの季節だ

 自然享受権自体は近代に成立したスウェーデン憲法より古い慣習法によるものだが、サーミ人はスカンジナビア半島北部ラップランド一帯に先史時代から居住する先住民であり、独自の言語と世界観に根ざし、人間が生きるために必要なものを必要な分だけ自然から享受するための「教え」を継承してきた。

 国家が制定する明文化されたルールとは異なる権利意識をクオリヨックさんが持つことの背景には、中世以降、この地に進出した王国や国家が先住民サーミ人を支配してきた複雑な歴史の問題があることを私たちは知る必要がある。また自然享受権は、現実的には各地の慣習に委ねる形で柔軟に運用されているので、クオリヨックさんの態度にはなんら問題はない。付け加えれば、この明文化されたルールには「サーミ人の権利」も記載されており、かれらには狩猟や漁労をおこなう際、バイクやモーターボートの利用が特別に認められている。

 スウェーデンの自然享受権に基本的に賛同しつつも、先住民としての知識と経験にもとづく異なる視点から土地の恵みを利用し、サーミ人の伝統的な生活文化を守る。質問の一つひとつに明快で揺るぎないことばで答えるクオリヨックさんは、まさに信念の人だと言える。

 と同時に、私たちからの最後の問いへの答えには、そんなクオリヨックさんが持つ、身近な自然を愛してやまない慎ましい「野の人」の表情もまた垣間見えた。

——自然豊かな土地に生きるクオリヨックさんが、もっとも精神的に落ち着き、心が安らぐ季節や場所があれば教えてください。

 「私はすべての季節が好きです。水辺に腰を掛けると心が安らぎ、落ち着きます。しばしば魚釣りをするのですが、何か息が詰まることがあれば用がなくても家の前にある湖に降りていきます」

参考文献
石渡利康『北欧の自然環境享受権』(高文堂出版社、1995

INTERVIEW & PHOTOGRAPHY BY SAEKO UEDA
TEXT BY TAKAO ASANO

Per-Eric Kuoljok(パールエリック・クオリヨック)
Per-Eric Kuoljok(パールエリック・クオリヨック)

スウェーデン・ラップランド在住のサーミ人。1963年生まれ。翻訳執筆の仕事のほか、トナカイの飼育業や観光業を営む。また「ヨイック」という民族音楽のアーティストとしても活動し、先住民サーミの文化について積極的に発信。日本、韓国、スペインなど海外のメディアでも紹介されている。

上田 佐絵子(うえだ・さえこ)
上田 佐絵子(うえだ・さえこ)

1973年生まれ。長年、日本とスウェーデン・ラップランドにてツーリズム業に従事。2001年より北極圏から100km北上した町に在住。スウェーデン人のパートナー、息子2人そして猟犬ブッフと生活中。

アサノタカオ
アサノタカオ

編集者・ライター。1975年生まれ。大学卒業後、2000年から3年間ブラジルに滞在し、日系移民の人類学的調査に従事。2009年より、「旅」と「詩」と「野の教え」をテーマにするスモールプレス、「サウダージ・ブックス」の編集人をつとめる。著書に『読むことの風』(サウダージ・ブックス)。