北極圏にとり憑かれたオトコの話   〜北欧ロングトレイル紀行〜

なぜ北欧、ラップランドだったのか?

はじめてラップランドの地を踏んだのは、2008年8月だった。

ラップランドとは、北欧のスカンジナビア半島北部に広がる北緯66.6°以北の荒野をさす。国でいうと、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドのスカンジナビア3か国にまたがる北極圏である。

そこは先住民サーメ人が、トナカイの放牧で生計を立て生きてきた秘境で、ヨーロッパでもっとも自然環境が厳しく、原生の自然が残されたウィルダネスだ。

バックパックに衣食住を詰め込み、果てしない白夜の荒野を1か月ほど彷徨い歩くというのが、その旅の目的だった。

地図を手に、道無き道を歩いて、見晴らしのいいところにテントを張って寝る毎日。北極圏のラップランドは、8月でも吹雪に見舞われることがある気象条件の厳しい荒野だ。

なぜ、ラップランドだったのだろう? 

13年まえ当時、日本では北欧のトレイルやハイキングの情報は、皆無だった。

「誰も歩いていないところへ行きたい」とモノ書きとしての野心が背中を押した。

そのうえ北欧には、ヒルバーグやプリムス、トランギアなどマウンテニアリングの衣食住をサポートする名門ブランドが目白押しで、アメリカでいうバックパッキング、日本でいうテント泊縦走登山という《自然を長く暮らすように歩くカルチャー》が、北欧にもきっとあるに違いないと薄々感じていて、それをこの目で確かめたい! というのがあった。

2週間分の食料を持って、スウェーデンのラップランドを歩く。2009年サーレク国立公園にて。
スウェーデンの荒野で出会った青年たち。自国で作られたテント、ストーブ、コッヘルなどを背負って歩いていた。自然にどっぷり浸かって、長く暮らすように歩くカルチャーが、ラップランドに根付いていた。

彼女は「どこで寝てもいいのよ」と言った。

スウェーデンの首都ストックホルムで、食料や燃料、地図を買い出ししたときのことだ。

荒野を歩きはじめるまえに、スウェーデンにおけるラップランド・ルールを把握しておかねばと思い、アウトドアショップの女性店員さんに尋ねた。

俺「水は飲めますか?」

女「もちろん。氷河から流れ出る冷たい水を好きなだけね」

俺「テントはどこに張ってもいいですか?」

女「どういう意味? あなたはどこで寝てもいいのよ」

俺「荒野でなにか食べられるものは?」

女「ブルーベリーやマッシュルームね。それを食べる権利は、誰にでもあるわ。外国人のあなたにもね。あ、トナカイはだめよ。サーメのものだから。」

歩くまえから“最高かよ、ここ”と思った。

歩いてみて“最高かよ、ここ”と再び思った。

なんだなんだ?とテントにやってくる好奇心旺盛なトナカイ。スウィートルームのモーニングコールサービスだ。

とにかくラップランドは“自由”だった。

“ルールのない自由”とは違って、“ルールを必要としない自由”なのだ。

その背景には、国や会社などの組織が個人の言動を尊重し、その双方の間に信頼関係がある。

みんなが心得ているから、ルールがないのだ。

昨今話題になったスウェーデンの新型ウィルス感染症対策は、まさに国民の自立心を尊重するスウェディッシュ精神を現している。強制やルールは設けず、できるだけ情報は開示しますので、それぞれが考えて行動してください。

自然を遊ぶにも、そんなスタンス。

みんな確固たる道徳心を持つ大人なのだ。そこが、心地よい。

道具は身近にあるモノで、長く使えるものが美しい。

日本人は何をするにもカタチを求め、モノありきの姿勢がどこにも蔓延っている。

それは山登りにおいてもしかりで、ゴアテックスの雨具がなければ、山登りはできないと信じている。

コンビニのビニールガッパで山を歩こうものなら「山を舐めるな」と野次られる。

お金と引き換えに、専門の道具やウェアを揃えないと、自然を楽しむことができない。

「なんて窮屈な世の中なの? 自然の中で遊ぶ権利は、誰にでもあるのに」とストックホルムの女性店員が日本の現状を知ったら、憤るだろう。

北欧のトレイルは、道具がなかろうが、歳をとっていようが、万人に開かれていて明るかった。

スウェーデンの山小屋を転々と繋ぎながら歩いていたおじいさん。長靴にキャンバス地のフレームザック、ベレー帽というクラシックスタイルがかっこいい。

身近にある生活道具を家から持ち出して、山でもそれを使う。

登山雑誌に載っているギアではなく、日常生活から引っ張り出してきて、頭で考え、現場で使い、自分のものにしていく。

いい道具には、ボーダーラインがない。

キッチンから持ち出したステンレス鍋を使っている人もいた。

日常生活で着用している毛玉のついたウールのセーターを着ている人も。

祖父からもらったバックパックとか、お母さんから引き継いだアルコールストーブとか、家族代々受け継がれているキャンプ道具を愛用しているハイカーも多かった。

道具なんてなんだっていいじゃないか、自然を謳歌する心得さえ持っていれば、道具は後からついてくるもんだよと言われているような気がして、最新登山ウェア&道具を身に纏った日本人(僕のことですね)は、恥ずかいという感情と同じくらい、嬉しく思ったのだった。

“モノに魂が宿る”とは日本人が古から持ちあせてきた日常生活に根付く信仰であるが、海の向こうにすむ北欧人にも同じような感性を感じた。

現代に生きる日本人よりもそれは強かったように思う。

サーレク国立公園で出会ったカップル。手には棒、足元はレインブーツ、羊毛のセーターに漁師ガッパ、父親から譲り受けたかさばるテント(男の背からこぼれる青い袋)。この装いで、2週間歩き続けているというのだからあっぱれだ。

「歩きたいときに歩けばいいんだよ」と太陽は言った。

ラップランドの夏を語るときに、忘れてはいけない現象が白夜である。

北極圏を歩く時期は、いつも7月末から9月末にかけての約2ヶ月間。

それより早いと蚊の襲撃がひどく、それより遅いと雪と寒さにやられてしまう。

8月のラップランドは、夜中でもヘッドランプなしで歩けるくらい24時間ずっと明るい。

9月になると日本と変わらなくなり、夕刻を過ぎると闇がゆっくりやってくる。

8月上旬。24時を回ってもうっすら明るい。明るい色のテントだと、眩しくて眠れないほど。アイマスクが必要だ。

8月某日、雨に濡れてガタガタ震える僕に、太陽がこう言った。

「なんで雨のなか歩くの? 晴れたら歩けばいいのに。24時間明るいんだから」

なるほど!と僕はツンドラの大地でひとり膝を叩いた。

日付が変わる24時でも、晴れていれば歩けばいい。

正午の12時でも雨ならば、テントで体を休めればいい。

『昼は行動、夜は休息』という既成概念が、ゴロゴロと崩れ落ち、僕は時間軸でも自由を手に入れた。

誰もが取って食べていいブルーベリー。北欧ロングトレイルのビタミン源だ。
人里離れた原野にポツンと建っていたサウナ。本場北欧のサウナは、湖とセットだ。心を解放して自然を楽しむ術をわかっていらっしゃる。
山小屋にあった靴専用の乾燥器。それだけ湿地や沼地が多いということ。
ストックホルムの街を疾走する自転車。すべてがいちいちかっこいい。モノのかっこいい要素の内訳は、長く使っているが5割、手入れしているが3割、使い手がイメージできるが1割、スタイルが出ているが1割である。※個人的な見解です。

このように北極圏ラップランドの魅力を話せば、まだまだ長くなる。

もっと知りたい方は、拙著を手にとっていただけると幸いである。

とにもかくにも、北欧の風は、文句なく、気持ちがいい。

氷河を抱えた圧倒的なウィルダネス、トナカイとともに生きる先住民、万人に開かれた自然、そこに住む人の自然観・・・、すべてが体にフィットする。

あー、しまった、この回想によって、重度のラップランド病が発症してしまったではないか。

1日もはやく、新型ウイルス騒動が収まって、北欧のトレイルを再び踏む日が来ることを願ってやまない。

(2021年2月中旬 3mの積雪に囲まれた静かな豪雪地にて。)

森山 伸也(もりやま・しんや)
森山 伸也(もりやま・しんや)

1978年、新潟県三条市生まれ。アウトドアライター。10年前に豪雪地へ移住し、山菜、イワナ、キノコ、スキーに明け暮れる日々を重ねる。北欧のロングトレイルに精通し、著書に『北緯66.6° ラップランド歩き旅』(本の雑誌社)がある。