サウナテントと旅をする〜徳島・にし阿波編〜

”そら”で暮らす人びと

 徳島県の西部に位置する美馬市、三好市、つるぎ町、東みよし町の22町は「にし阿波」と呼ばれている。水源に恵まれたにし阿波では、山の中腹にも集落を形成し、標高100900メートルの山間地域に200近くの集落が点在しており、平地に暮らす人から見ると、まるで空に暮らしているかのように、山での生活を営む人たちがいる。吉野川沿いの平地に暮らす人びとは、山の集落のことを「そら」と呼んでいた。ここを拠点に山や川のガイドを行う「Trip  四国の川の案内人」のナビゲートで、サウナテントと共に、そらの人びとの暮らしを訪ねた。

 にし阿波は巨大なプレートがぶつかって生じる「中央構造線」の上に位置していて、ダイナミックな断層運動によって隆起や変形することで山が形成された。傾斜は緩いけれど日当たりが悪い場所は「カゲジ」、傾斜はきついけれど日当たりの良い場所は「ヒノジ」と呼ばれ、カゲジとヒノジでは栽培に適した農作物が変わる。大規模農業が適さないやせた急傾斜地では、雑穀をはじめとしたさまざまな農作物を少量栽培して自給自足の暮らしを続けると共に、物々交換を行ってお互いの食生活を支え合ってきた。今では、産直市などで栽培されたものが販売されている。

 つるぎ町から剣山方面に車を走らせ、剣山や奥祖谷二重かずら橋を越えてさらに奥に向かうと、高低差が390メートルにも及ぶという国の「重要伝統的建造物保護地域」の落合集落が見えた。江戸時代中期から後期に造られた古民家の脇を、里道がゆっくりとカーブを描いている。その落合集落を一望できる向かいの集落で、ゴウシュウイモなどの農作物を栽培しながら民宿祖谷八景を営む、西岡孝明さんを訪れた。

 急崚な傾斜地は場所によっては斜度40度にもなるが、段々畑のように平らな面を作らずに、傾斜地のままで農業が行なわれてきた。そんな傾斜地で農業を営むために、特別な農法も生まれた。そして、にし阿波の急傾斜地農耕システムとして世界農業遺産に認定されている。小石が多く、土が固い傾斜地の農業に合わせた農具を、鍛冶屋が作り、修理しながら大切に使っていた。

 西岡さんが蓑を肩にかけながら、ゴウシュウイモの収穫をしていた。晴れた日にイモを収穫して、そのまましばらく土の上で乾燥させるのだという。この蓑は、日光や小雨を防ぐものとして、農作業や山に入るときに使われていたけれど、今では使う人も作れる人もほとんどいなくなってしまった。蓑を着せてもらうと、とても軽くて涼しい。

 東日本では、農作物の収穫が終わると、農家の人たちは湯治に出かけて、体の疲れを癒したという。西日本には温泉が少なく、瀬戸内海沿岸には数多くの石風呂や”から風呂”があって、同じ役割を持っていた。畑にテントサウナを建てさせてもらうと、すっと馴染んだ。

受け継がれる種

 「阿波」は徳島県の古い呼び名で、その語源は「粟(アワ)」と言われているほど、雑穀文化はこの土地と深い関係がある。縄文時代にはすでに雑穀の栽培が行われていたと言われ、稲作が始まると日本各地で雑穀生産は少なくなっていったけれど、稲作のための水田に適した土地が少ない「にし阿波」では、現在も雑穀の栽培と収穫は日々の暮らしと共にある。東アフリカで食用とされるシコクビエなど40系統にも上るとされ、ソバやトウキビ、平家きゅうりなど、たくさんの雑穀や野菜の在来品種が残っている。これらの種は、一度途絶えると復活は難しく、原種に近い種子が、それぞれの農家で採取保存されてきた。

 都築麗子さんは民謡の名人で、古式そば打ち体験も行なっている。祖谷に行ったら「祖谷そば」と言われるほど、そばは祖谷の暮らしの中では身近にあるが、歌とそば作りで祖谷の文化を伝えて来た。祖谷では、きびしい仕事の中から生まれた作業唄も多く伝わり、中でも祖谷の粉ひき節は、地元で全国大会が開催されるほど。都築さんのところでそば打ちを体験させてもらいながら、粉ひき節を唄ってもらった。

 祖谷では、そばはさまざまな料理に使われる。そばの実をまるごと使うそば米雑炊は郷土料理の代表格で、その他にも自家製のこんにゃくや豆腐、ゴウシュイモを使う「でこまわし」は、いろり料理としても欠かせないもの。都築さんの自宅の前では、そばに白い花が咲き、実をつけていた。紅花ぼろ菊など、植物たちが元気に育っていて、それらはいつも食卓に並ぶという。

 次に訪れた桑平良得さんの家は、歩いてしか行けない道を10分ほど進んだ山の中腹にあって、石垣の壁が美しく、その前に作られた畑では、ちょうどナスやトマトなどの夏野菜が収穫の時期を迎えていた。急斜面に家を建てるために平地を作ろうとして、石垣の技術が発達し、昔は集落毎に石垣を作る人がいたのだろう。今はコンクリートに変わってしまったと言うけれど、山や川から石を持ってきて緻密に組み立てられた石垣は今でも丈夫。家を作るときも、地域の掃除や薪集めも、集落の人たちで協力して行うという山の暮らしが残っていた。

山の上の暮らしとサウナテント

 今回の旅の最後に訪れたのは久薮集落の農家民宿「家曽敷」。ご主人の東城勝美さんがDIYでピザ窯や五右衛門風呂を作ったり、リビングには大きな薪ストーブか置かれていて、山の上の暮らしをそのまま体験できるような宿だ。サヴォッタのサウナテントを準備しながら、その隣で五右衛門風呂の準備もしてくれた。久薮集落には傾斜地にあじさいなどのたくさんの花が植えてあった。奥さんの千春さんが手入れをしている庭の元気なローズマリーを少しいただいて、サウナストーンの上に置いた。

 サウナの後には、薪の五右衛門風呂へ。お湯の下の方から薪の温かな熱が伝わってきて、温泉のように体が温まる。サウナでも電気ストーブと薪ストーブでは熱の違いがあるけれど、お湯も薪で温めたものは重みがあるじっとりとした熱。こちらの集落では薪ストーブのお宅が多く、杉などの間伐材や雑木林の薪が十分にストックされていた。

 次の日は、集落のお堂でサウナテントを建てさせてもらった。各地区にあるお堂は集会所であり、集落の行事を行う場所であり、集落の情報交換の場でもあり、山の集落の人たちの助け合いの文化の名残りでもある。東城さんとサウナに入っていると、通りがかった集落の人が集まってくれた。

 フィンランドでは、赤ちゃんからお年寄りまで年齢に関係なくサウナに入る。熱いサウナが苦手な人は、あまり温度を上げずにぬるめのサウナに調整する。通気性のよいサヴォッタのサウナテントはそれを可能にしてくれるのだ。そして、フィンランドで土地を開墾していた時代にも疲れた体を癒すためにサウナが欠かせなかったように、温泉のない山の上の暮らしでは、薪を使ったサウナが日本の温泉のように人びとを優しく温めることができるのかもしれない

 PHOTOGRAPHY & TEXT : MIKI TOKAIRIN

牛尾 愛子・牛尾 健(うしおあいこ・うしおたけし)
牛尾 愛子・牛尾 健(うしおあいこ・うしおたけし)

四国剣山の麓を拠点に「ツーリングカヤック」と「ハイキング」で人のいない良い場所に行くアウトドアツアーを開催。その土地のストーリーを含めたツアー作りやアウトドアコーディネイトを行っている。”Trip 四国の川の案内人”を主宰。

東海林 美紀(とうかいりん・みき)
東海林 美紀(とうかいりん・みき)

フォトグラファー。世界のサウナのフィールドワークを行う。ウィスキングやハマムなど、各地のサウナリチュアルを学び、その土地の植物や風土を取り入れたサウナトリートメントやワークショップを行っている。