サウナテントと旅をする〜岡山・上山集落編〜

棚田の復活を志した上山集落

 谷間の集落を覆い尽くすような8300枚もの棚田群が千年以上も前に築かれたという、岡山県美作市の上山地区。日本最大級の棚田で、美作国の米どころと呼ばれ、棚田ならではのコミュニティと文化が育まれてきた。過疎化と高齢化が進んで、雑草や灌木、竹藪の耕作放棄地となってしまった棚田の再生を志した移住者の人たちは、この地区を「上山集落」と名付け、地元の人たちとともに、農業だけではなく、交通やエネルギーなどの課題にも取り組み、未来の田舎を目指している。

 上山集落に着くと、一面に広がる棚田の景色に圧倒された。この棚田も、耕作放棄地となっていたものを、何年もかけて復活させたものだという。ちょうど、稲刈りが終わって、天日干しをしていた稲を脱穀する人たちの姿が見えた。煙が立ち上がっているのは、脱穀したワラを燃やして土に還しているのだとか。田植えと稲刈りの時期は地域全体で作業をおこなうため、集落の外からも手伝いに来ている人たちで、棚田はとても賑やかだった。

棚田でお米を作るには、水の確保が欠かせない。灌漑用の人口の池が棚田の上にあって、これは奈良時代と江戸時代につくられたもの。池からの水は、井出と呼ばれる水路に流れて、それぞれの田んぼに水が運ばれる。水路の保全は棚田で米作りをする上では毎日の仕事で、詰まっている箇所がないか確認したりと、台風や大雨、強風の時だけではなく、日頃から水路を点検して掃除をしておくことが必要で、この毎日の水の管理は稲刈りの直前まで続く。

上山に奈良時代から築かれた千枚田は、最盛期には8300枚の田んぼがあった。それが、地元の人たちの高齢化などから次々に耕作放棄田となってしまった。10年ほど前に移住者の人を中心にNPO法人が作られて、耕作の再生を進め、棚田が再生の過程にある。一度、放棄田になってしまうと、草を刈っても、またお米を作れるようになるには34年かかる。放棄田に生えている竹や草木など、生えているものを刈り尽くして、それを乾かしてから焼き尽くす野焼きが、農作業が落ち着く2月末から3月に行われていて、それが終わると棚田の石垣が姿を現す。

棚田での日々の米作りに関わっているのは、地元の人と移住者の人たち。高校の先生や猟師さんなどさまざまで、朝の作業の後にそれぞれの生業に戻る。昔から、水路の掃除などは、共同作業で行われてきた。移住者が棚田をやることは、地元の人とのコミュニケーションでもあり、地域防災の側面でも重要なことなのだ。

棚田と狩猟と野草

 お昼時に猟師の梅谷真慈さんのお宅にお邪魔すると、梅谷さんと近所の子供たちが縁側で丸い机を囲んで、炊き上がったばかりのご飯を食べていた。ご飯に卵をかけて、梅干しやおかずと一緒に。農作業をしていたお父さんたちも、お昼ご飯に戻ってきて、とても賑やかな昼ごはんだ。

 「ここは生産と消費が一体化しています。自分で作ったお米を、自分で割った薪でご飯を炊いて食べる。そんな、生産性の高い活動を日々することができるんです。食べたいものは自分で作る。お米以外にも、無農薬のニンニクを作ったりしています」

 そう話す梅谷さんは、上山に移住し、狩猟をしながら家族と暮らしている。棚田が再生されて農作物を作るようになっても、そこに柵をしないとお米が食べられてしまう。イノシシやシカの獣害だ。でも、昔はその動物たちともちょうどよい距離があった。それを害と捉えるようになったのは30〜40年ほど前から。山の手入れがされなくなると、広葉樹が減って、薪も使わなくなる。雑木林がなくなることによって、獣にしたら、人間が動物に近づいてきてしまっている。昔は、人の活動によって、人と動物との境界が出来ていた。

梅谷さんの狩猟ではくくり罠を使う。そして、シカが捕れたら、自らさばいてジビエ料理にし、皮はなめして革小物にしている。

「人の暮らす『里』と獣の暮らす『山』の境界線が保たれるように、狩猟は必要ですが、命として獲ったものは、できる限り活用したい。自分が獲ったひとつの命から、お肉も皮も」

「前後のつながりを大事にすることが大事ですよね。生きていること、死ぬこと。みんなで生きていた動物のお肉を食べることも。何事も自分ごとにしていかないといけないと思っていて、獣害に対しても一緒です。誰かに頼むと、ここに暮らすことの責任が薄くなってしまうと思うんです」

「この集落で暮らしていて、なんのために棚田の活用や再生をやっているのかというと、関わってくれる人の場所も照らしていきたいから。昔は8300枚の棚田があって、数百年前からここは人が集まってくる場所だったんです。だから、今でも集落の外の人でも棚田に関われるようにしたい。どうやったらそれを応援できるのか、模索していくことは面白いですし、人の関係性はこれからも大事にしていきたいですね。そして、こどもたちが山で遊べる場所をつくりたいと思っているんです」

 棚田が増えると野草も増える。それはつまり、棚田に人の手が入らないと野草が減ってしまうということだ。四方を山に囲まれた上山は、人と山の関係が密接で、昔から暮らしのなかで野山の草花を薬や食用としてきた。センブリやドクダミはお茶にして飲み、お腹を壊したらゲンノショウコ、怪我をしたらヨモギの汁を当てたり、当時の人びとは、棚田の草も自分で吟味し、草木の利用法はよく知られていた。

 岡野紘子さんは、再び野草の価値に目を向けて、薬草の栽培、採集、加工、販売を行っている。山や庭に生えている松の活用もたくさんあるらしく、松葉のサイダーを見せてくれた。

 「水の中に松を入れて、砂糖を少し加えて外に数日置いておくと、発酵してサイダーになるんです。松には人間が自分では作れない必須アミノ酸が含まれていますし、血の巡りを良くして体を温めてくれるんです」

松以外にも、柿、ビワの葉、キンモクセイ、木蓮、コブシ、ショウブなど、たくさんの野草が上山には自生していて、野菜の代わりとしても毎日の生活のなかで少しずつ取り入れていくことのできるものばかりだ。

「野草を食べるようになると、体が本来の働きに戻っていくんです。気づかないうちに健康になっている。ここに住んでいる人たちにも、もう一度、草を摘んで、それを体に入れてもらいたいなと。自分の健康は自分でつくる。米、野菜、薬草などで医食同源を実現しながら、いかに豊かに暮らせるかですね。人間も自然の一部なので、いかに自然と一緒に生きることができるのか、どこまでできるのか自分への挑戦です」

里山の暮らしとサウナテント

大芦高原キャンプ場を運営する三宅さんも、棚田の作業に関わる一人だ。棚田の見える場所にサウナテントを張りながら、この場所も、昔は棚田で竹藪に埋もれて耕作放棄地になっていたのを再生したのだという。

「サウナは人と人を繋ぎますよね。サウナテントが外から上山に来てくれる人の楽しみのひとつになるといいなと思いますし、上山の人たちにも楽しんでもらいたい。将来は子どもやお年寄りにも、もっとサウナを楽しんでもらえるようにしたいですね」

「サウナは日帰りでできますし、キャンプよりも身近なもの。ライトであり、ディープなものだと思うんです。自分を見つめ直す機会だったり、コミュニケーションの手段のひとつ。普段話せないことを話せたり、その場を一緒に体感したり、自分が心地よくなっていく体験を一緒にすることができます。焚き火を囲むことのコミュニケーションもありますし、サウナを囲んだコミュニケーションを提供したいですね」

そう話す三宅さんが、上山ならではのサウナプログラムを準備してくれた。三宅さんの自宅に生えていた松を水に浸してのロウリュ。松の青青しく甘い香りがサウナテント中に広がった。そして、棚田ならではのサウナらしく、棚田の泥を思う存分体につける、泥風呂。みんなが子どもの泥遊びのように、身体中に泥をつけてから、サウナの中で汗をかいた。

 サウナの後には水浴びをして、ワラの上にブランケットを敷いて寝転がった。ワラと土の香りに包まれて、上山の秋の香りがする。

サウナの合間の料理を準備してくれたのは、上山でサウナ作りを計画している蟻正敏雅さん。この日は地元の食材を使ったメニューで、棚田米の塩むすびと集落のおばあさんが作った昔ながらの梅干し。そして、上山集落で採れた鹿肉のロースト。集落の人が栽培している桑の葉が入った天然酵母のカンパーニュと畑で採れた野菜をダーラムで焼いた。サウナドリンクは、集落で育てているトゥルシーのシロップのサイダーと、桑の葉や柿の葉がブレンドされたお茶。そして栗やぶどうが並んで、秋の収穫祭そのものだった。

「上山での棚田は、農地としてだけではなく、自分たちの暮らしとともにあるものです。棚田を整理することは自分にそのまま還ってくる。平地の田んぼではできないことで、ここでは暮らしと農業の境がないんです。自分の暮らしのリソースを自分で選ぶことができる、その選択肢があって、毎日選ぶことができます。それは豊かさの指標のひとつですよね」

日本の里山は、草を刈ったり、木を使ったり、野焼きをしたりと、人の手が入ることで維持されてきたもの。棚田の再生を中心に、未来の里山が生まれようとしている上山で、サウナテントが人と人、自然と人をつないでいく。

PHOTOGRAPHY & TEXT:MIKI TOKAIRIN

三宅康太(みやけ・こうた)
三宅康太(みやけ・こうた)

1993年香川県生まれ、岡山県育ち。大芦高原キャンプ場 -Oh!Ashi Forest- 代表。高校地域コーディネーター。岡山県美作市上山地区にて棚田の再生・活用を行う。自然体験を通じて暮らしを豊かにする「_____にまつわるエトセトラ」の活動として、里山トレッキングのガイドも務めている。

東海林 美紀(とうかいりん・みき)
東海林 美紀(とうかいりん・みき)

フォトグラファー。世界のサウナのフィールドワークを行う。ウィスキングやハマムなど、各地のサウナリチュアルを学び、その土地の植物や風土を取り入れたサウナトリートメントやワークショップを行っている。