UPIとオンネトー。〜第一回 「オンネトー、人々との出会い」〜

神秘の湖、オンネトー。

 この夏、北海道の道東、オンネトーの湖畔に、「UPI オンネトー」がオープンする。

 オンネトーというのは阿寒国立公園の中にある湖の名で、アイヌ語で「老いた沼」という意味だという。UPIは、2018年と2019年の夏に、オンネトー湖畔の野営場を舞台に、「モーラナイフ・アドベンチャー in Japan」を開催した。オンネトーは、アイヌにとってときに聖地とも語られるが、UPIにとっても忘れがたい、大切な場所である。

 オンネトーは原生林の深い森の奥にある。植生は、北欧やアラスカを思わせる。辺りに人家は一切ない。携帯電話もWi-Fiも繋がらない※。湖から車で5分ほどの場所にある国民宿舎「野中温泉」まで行けば、電話とWi-Fiがなんとか繋がる。湖の背後、森の向こうに、雌阿寒岳と阿寒富士を望む。(※今夏のオープン時には施設周辺限定でWi-Fiが提供予定だ。)

青いオンネトー、森の向こうに見える雌阿寒岳(左)、阿寒富士(右)。

「神秘の湖」と呼ばれるオンネトーは、一日の光の変化で湖面の色彩、表情が、ドラマティックに変化する。そのため「五色沼」とも呼ばれる。夏のよく晴れた午前中には、湖面はエメラルドグリーンに輝き、北国なのに南洋の海辺にいるようだ。

 湖底から酸性泉がわき出しているオンネトーの湖水は、強い酸性で、湖底の複数の場所からは天然ガスも噴出しているという。そのため魚などは一切生息していない。湖畔の浅瀬の水中には、大小の倒木があるのだが、それらが水の中で生きているかのように見える。その風景を見るたび僕は、『風の谷のナウシカ』に出てくる「腐海の森」を思い出す。

 オンネトー湖畔には、足寄町が運営管理する国設野営場があり、夏になると大小いくつものテントが立つ。駐車場のある野営場が開いているのは毎年6月初旬から10月末。

 今年は、6月1日(水)にその野営場が開く。そしてその日に、(駐車場のすぐ脇に新築された)「UPIオンネトー」がオープンする予定だ。山岳ログハウスのような建物が、今その日を待っている。

 僕は、1998年頃からオンネトーに通っていて、春、夏、秋、冬と、四季折々のこの場所の空気を吸い込んできた。真冬、凍てついた湖上にたっぷりと雪が降り積もった、マイナス27度という2月初めのオンネトーで、帯広に暮らす自然写真家の友人と一緒に野営しようとして、あまりに寒くて身の危険を感じ、急きょ野中温泉別館に投宿したこともあった。(湯治場でもある野中温泉の湯は、すばらしい)

オンネトーとは原生林を抜けるトレイルで結ばれている野中温泉。キャンプ中、湯に入れるのは嬉しい。

湖畔にはかつて、「オンネトー茶屋」があった。

 夏、野営場を利用するハイカーやバイカーたちは、テントを立てて火を熾すと、それぞれ自炊したり、簡単にカップ麺のようなものですませたり、食事はいろいろだが、数日キャンプすれば誰もが、一度か二度は、「オンネトー茶屋」のお世話になったはずだ。

 僕は「オンネトー茶屋」に20回以上は行ったと思うが、行くとまず、行者ニンニクの醤油漬けか、キノコと山菜の天ぷらを肴に、とりあえずビールを1本。それから山菜そばを食べた。茶屋には、外にもテーブルと椅子があって、陽がたっぷりの午後ならそこに座ってビールを飲めば、他に特に何もしなくても最高の気分だった。茶屋の主人とお喋りし、彼が撮影したオンネトーの四季折々の写真を見せてもらったりした。

 あるとき「オンネトー茶屋」が閉じてしまい、とても残念に思っていた。同じように感じていた(毎年のようにここへやって来る)バイカーやハイカーは多かったはずだ。

 だから昨年、UPIの本間光彦社長から、「オンネトー茶屋を引き継ぐことになりました」と連絡を受けたとき、密かに小躍りして喜んでしまった。

 足寄町がオンネトーの湖畔に建物を新築し、夏の間そこの管理運営をUPIが担う。残念ながら「山菜そば」はないようで、はじめは簡単なドリンクの提供からスタートするようだが、本格稼働すればUPIならではの料理やドリンクがサービスされるはずだ。UPIが扱うアウトドアの衣類、道具類もたくさん置かれることだろう。今からとても楽しみである。

星野道夫、アラスカとアイヌ。

 アラスカに暮らした写真家、星野道夫さんが急死したのは、1996年の夏のことだった。(カムチャツカで野営中、熊に襲われたのだ)

 それから4年後、2000年の12月初旬に、アラスカのケチカンとシトカから、クリンギット族、ハイダ族の先住民が、阿寒湖畔のアイヌ・コタンにやって来た。長老エスター・シェイ、彼女の息子のウィリー・ジャクソン、「ワタリガラスの神話」などのストーリーテラーであるボブ・サムらが、アラスカから成田空港へ、羽田空港から女満別空港を経由して、阿寒湖を訪れたのは、星野道夫の慰霊祭に参加するためだった。

 星野道夫の未完の名著『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』。このルポルタージュで、星野道夫は、アメリカとロシアの北極圏を旅し、シベリアから南下して、サハリン、そして北海道へと至り、「神話、口承伝説」によって、アラスカの先住民と北海道の先住民アイヌとの「繋がり」を、明らかにしようと考えていた。

 

 

ハイダの血をひく偉大なる芸術家ビル・リードによるマスターピース、「ワタリガラスと最初の人々」。バンクーバーのUBC人類学博物館にて。

星野道夫がボブ・サムと旅したハイダ・グワイ(カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の群島)。ハイダ・グワイとはハイダ語で「人間の島々」。

 星野道夫のその思いに応えるような形での慰霊祭を、阿寒湖畔のアイヌ集落でおこなおうと考えた人たちがいた。星野道夫の知人、友人たちである。

 星野のアラスカの友人たち、クリンギット族、ハイダ族の人たちを女満別空港で迎えたのは、アイヌの人々だった。僕は、写真家の赤阪友昭さん、『SWITCH』『Coyote』編集長の新井敏記さん、『ガイア・シンフォニー』の龍村仁さん、作家の池澤夏樹さんらと一緒に、羽田空港からずっと、エスター・シェイやボブ・サムらと行動を共にする幸運を得た。

 このとき、アラスカからの客人に寄り添い、様々な場所へ案内し、アイヌの文化や物語を伝えていたのが、アイヌ・コタンで「アイヌ喫茶ポロンノ」を営む床明さんだった。(このUPI STOIRESにも幾度となく登場しているアイヌの郷右近富貴子さん、その姉の下倉絵美さんという姉妹の父親)

 女満別空港に着いたエスター・シェイやボブ・サムらを、床明さんが最初に連れて行った場所が、網走にある「道立北方民族博物館」。マイクロバスに乗って移動し、次に床さんが彼らを連れて行ったのが、オンネトーだった。

 北方民族博物館で、ハイダ族の偉大な芸術家、ビル・リードの弟子の手による、カヌーやトーテムポールを目にして深く感動していたエスター・シェイ、ボブ・サム、ウィリー・ジャクソンたちは、移動中の車窓の風景、樹木や森の様子が、「私たちの故郷(アラスカ)にとてもよく似ている」と、何度も、何度も語っていた。

網走にある「北方民族博物館」。アイヌのアートや工芸品が、アラスカ、カナダの先住民や北欧サーミの作品などと一緒に並ぶ。

 オンネトーの湖畔に着くと、冬の夕方で人はおらず、車のエンジンを切ると、静寂が辺りに満ちた。床明さんが、夏の季節には湖面がどんなに美しいか、アイヌ語で「老いた沼」という意味のこの湖が自分たちにとってどのような場所であるか、背後の森に棲む鹿や熊、キツネたちのことを語った。そして、雌阿寒岳、阿寒富士を見上げながら、「このアイヌ・モシリ(人間の大地)に、私たちアイヌは生まれ、生きてきたのです」と床明さんは言った。

 

モーラナイフ・アドベンチャーin Japan

 2017年の夏の終わり頃、UPIの本間光彦社長と、焚火カフェの寒川一さんと3人で会って、「来年(2018年)日本で、モーラナイフ・アドベンチャーを開催する」という話を初めて聞かされたとき、僕は自分の直感を100%信じて、即座にこう彼らに伝えた。「北海道の道東、オンネトーの野営場で開催するのがいいと思う」。

 本間さんも寒川さんもオンネトーを知らなかったから、僕がいくら熱心に唱えても、すぐには通じなかった。ただ寒川さんは、長いつきあいのある友人でもあったから、僕のフォースを信頼してくれていた。(イベントは当初、山梨か静岡で開催というプランだった)

 11月、僕と寒川さん、本間さんという3人は、1泊2日でオンネトーに行った。まっすぐオンネトーへ向かわずに、釧路空港からかなり遠回りをして足寄町役場に立ち寄り、そこで職員の村石靖さんと出逢ったことは大きなことだった(そのことは、次の原稿に詳しく書こうと思う)。道東には雪が舞い、車はスノウタイヤを履いていた。

 冬の始めのオンネトー野営場は暗く、寂しい気配だったが、着いてほどなくして本間さんも、「ここがいいのかもしれない」と気持ちが傾いているようだった。

 原生林の森の雰囲気、オンネトーという不思議な湖が醸し出す神秘的な気配など、僕が繰り返し語っていたこの場所の「マナ(土地の霊力)」を、本間さんも理解したようだった。

 大きなバスを2台借り切って、釧路空港から参加者をこの場所に運ぶ、海外からのインストラクターやアンバサダーは阿寒湖のホテルに宿泊し、UPIのスタッフは野営場からすぐの野中温泉別館に泊まれると便利だ、などなど僕には、本間さん、寒川さんを納得させるためのいくつかのアイディアがあった(結果的に野中温泉には泊まれなかったのだが)。

 最終的に2人の気持ちをオンネトーにフィットさせたのは、アイヌの存在だった。富貴子さんと絵美さんという姉妹、その父の床明さんと妻のみどりさん、というアイヌ一家。そして、アイヌ・コタンに受け継がれてきた伝統文化、神話である。(僕は、古いつきあいである床明さん、富貴子さんたちがそこにいたから、しつこいくらいに「オンネトー野営場でやるべきだ」と言い続けていたのだった)

 スウェーデン発の「モーラナイフ・アドベンチャー」というナイフとクラフトのキャンプ・イベントに、その土地の先住民の文化や物語を加えようと僕は提案した。モーラナイフも、北欧の先住民サーミの文化やクラフトの影響を受けているわけだから、同じように木工の文化を持つアイヌがそこに加わるのは必然に思えたのだ。

「モーラナイフ・アドベンチャーin Japan」の夜、郷右近富貴子さん、下倉絵美さんの姉妹ユニット、カピウ&アパッポが、アイヌのウポポ(民謡)を聴かせてくれた。

 長くなってしまったが、そのような経緯のあったオンネトー野営場に、この夏、「UPI オンネトー」がオープンする。6月1日、扉が開くその日の朝、僕は必ずそこにいよう。

 そこには、小さな本棚があるといいなと願う。スウェーデンのコーヒーを飲みながら開くことができるアラスカの本があってもいい。星野道夫の『森と氷河と鯨』も。 (その2に続く※6月下旬公開予定)

Photography & Text by EIICHI IMAI

今井栄一(いまい・えいいち)
今井栄一(いまい・えいいち)

フリーランス・ライター&エディター。旅や人をテーマに国内外を旅し、執筆、撮影、編集、企画立案、番組制作・構成など。著書に『雨と虹と、旅々ハワイ』『Hawaii Travelhints 100』『世界の美しい書店』ほか。訳書に『ビート・ジェネレーション〜ジャック・ケルアックと歩くニューヨーク』『アレン・ギンズバーグと歩くサンフランシスコ』など。